ラングラーのオーディオについて

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No.1 2015.7.10




ラングラーが来てからひと月たった。
1500キロほど走った感じでは、概ね思った通りの車だ。
それはある程度満足しているということだが、不満点もある。
例えばオートライトの設定だ。
暗くなってから10秒程度経過してヘッドライトが点灯する。
これではトンネルの多いこの国では全然使えない。
オプションのバンパーセンサーの感度もいい加減で、同一距離でも鳴ったり鳴らなかったり。
でも一番問題なのはオーディオだと思う。

2015年モデルではサブウーハーが荷室床に移された。
カタログで見る限り本格的なモノに見え、私はこれに相当期待していたがダメだった。
というのも接続が出鱈目だからだ。

純正のオーディオをオプションのパイオニア製ナビに変更したのだが、この「0077」という型番のナビはオーディオも兼務しておりなかなかの高機能で音もいい。
サブウーハー用の出力(RCA端子)を備えていて、ラングラーの構成にぴったりに思える。
ところが何故かサブウーハー出力は繋がれておらず、どこから持ってきたか不明なフルレンジの信号がサブウーハーから出ている形なのだ。

サブウーハーは一個、つまりモノラルだ。
それでも問題ないのは普通サブウーハーから出す信号は200Hz以下の低音成分だけであり、それであれば指向性がないのでオーケーとされる。
事実「0077」のサブウーハー出力も200Hz以上の音はカットされている。
しかしその出力は使用されず、出ている音はフルレンジだ。
これはオーディオのセオリーを完全に逸脱している。

その点についてジープ(FCAジャパン)のカスタマーセンターに問い質した。
ディーラーとの不要な摩擦を恐れたからだ。
つまり現状の接続がFCAによる設定なら、ディーラーに文句を言っても意味がない。
得るところなく関係を悪くするだけだ。
文句言うならディラーのインチキが判明してからにすべきだと思った。

数日たってやっと来た回答は驚くべきものだった。
この接続はFCAとして正式なものであるという。
オーディオの事がわかっていないのではあるまい。
「0077」はオープン価格で10万しない。
それをFCAはディーラーオプションで約30万とした。
もしもこの機材のサブウーハー出力を生かすなら、更にパワーアンプが必要になる。
ラングラーのサブウーハーにはアンプが内蔵されていないからだ。
FCAはそれを良しとしなかったのではないか。
一応音さえ出ていればいいと。
この車を買うユーザーにはどうせ分かりゃしないと。

いい車なのにな。
残念なことだ。








ありがとう

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No.2 2015.7.11




仕事で付き合いのある若手二人が還暦を祝ってくれた。
どうしてバレたか不思議だった。
照れくさいしそれなりに抵抗もあったけれど、これも仕事のうちと覚悟して出かけた。
この写真は店の方に撮ってもらったものを、左の男が家人へメール添付で送ったものだ。
「組長と若頭と補佐」だと。
おいおい・・・
画像にモザイクを被せるようなスキルなく、こんな感じだから見る人が見れば誰だかモロに分かる筈だ。

シャンパンごちそうさま。
おいしかったよ。
次は仕事しような。

今日の札幌はやけに暑かった。
台風の影響なのかな。
本州方面はどうだった?
この夏も色々ありそうだな。
天気だけでなく、世の中何やら騒がしくなって来た。
60年の様々な経験からなんとなくだが言える事がある。
どうもキナ臭い。
それは60年生きていなくとも、あるいは90年生きてきた人も、きっと多くの方が薄々感じているだろう。
様子がおかしいと。
漠然とした不安。
それは恐らく正しい。
これからの5年は特に注意が必要だと思う。
だから確信の持てない勝負はしない心算だ。
とりわけこの一年だ。
そこで何か見えてくるものがある筈だ。
慎重に行動したい。






宴のあと

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No.3 2015.7.12




友人夫婦を誘い今シーズン初バーベキューだった。
本日は撤収作業だ。
テニスの前に片付けたい。
あとじゃあちょっと辛いから。

これは明るくなるのを待って写した朝5時頃の様子。
すでに日の出が遅くなりはじめている。
昨日は暑く、今日やらないでいつやるというくらい絶好のBBQ日和だった。
今年は真夏日が少ないかもしれない。
夏になり切らないまま秋が始まる、そんな年になりそうだ。
そういう夏も時々ある。

22歳の夏がそうだった。
その頃私は京都に住んでいたっけ。
梅雨がいつまでも明けず、8月に入っても気温が上がらなかった。
そんな寂しい夏の終わりに、ある女性から一泊の海水浴に誘われた。
「年末になったら別れましょう」
日本海の薄暗い民宿で彼女はそう言った。
あと四か月もあるのに。
あれはきっと別れたくないというサインだったのだろう。
気付けばまた昔話をしていた。







堪忍台風11号

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No.4 2015.7.13




今週は衹園祭の山鉾巡行がある。
この画像は数年前に家族四人で行った時の宵山だ。
四条通と烏丸通が歩行者天国になり、もの凄い人出になる。
もう立派な大人の子供たちが迷子になった。
幸い携帯電話で連絡を取り合って合流出来たが、これが幼子だったら大変なことだ。
その後四条通の歩道が拡幅され、車道が片側一車線となった。
今回は多分その状況下で初の山鉾巡行だと思う。
四条通は元々渋滞が慢性化した道路で、それを一車線にしたのだから、とんでもない事になるのは明らかだった。
京都市民には悪夢の如き行政判断ではなかったか。
無事に山鉾巡行が出来ると良いが。
更に当日台風11号が直撃する可能性もあり心配だ。
ところでこの日私は呉にいる筈なのだった。
毎年恒例となった娘との旅行が今年は瀬戸内に決まったので。
台風11号、他人事ではない。









実験中止

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No.5 2015.7.14





嘗て何度もオーディオについて書いた気がする。
もうこれでいいじゃないかと自分に言いきかせもした。
そこへ先日ある若者がやって来た。
I君としよう。
彼はまだ30前だが独立し、スピーカーの製作販売を生業としている。
この日、自作の電源タップとケーブルを持参した。
我が家の電源ケーブルはゴツいだけで意味がないからとパワーアンプから外し、自作タップ経由で自作ケーブルに繋ぎ替えた。
そうしておいて何か聴いたことのない音楽をかけだした。

やがてI君は言った。
「これは低音が出ていない」
箱が堅牢過ぎると言うのだ。
「箱を作り直さないと希望する音は出ませんよ」
またこうも言うのである。
「チャンデバがダメ。ネットワークを組むべきです」
さらには
「ユニット同士でケンカしてます。ダメですね、これは全部売ってしまいましょう。あとの事は任せて下さい」
どうもまいったな。
「一度ウーハーを一個外して聴いてみれば分かると思います」
エール音響のこのユニットは40キロくらいあり、簡単に外せる代物ではないと説明した。
「仲間四人で箱を横にして外します。実験に7万くらいかかりますけど」
長い話を聞いてやり、出張クリニック料を渡して丁重にお引き取り頂いた。

そして昨日I君から電話があった。
今週末7万かかるという「実験」をやりたいと。
私は慎重に言葉を選びながら、その「実験」は気が進まない事、そして今のシステムを全部売ってゼロからスタートする気持ちはもうない事を伝えた。
このシステムのままで音を良くしてくれるなら、いくらでもやってもらいたいとも言った。
I君はそれは無理だと言う。
物理的に出ない音を出すことは出来ないと。
「私にお手伝いできる事はなさそうです」
I君残念そうに電話を切った。
私はホッとして車を降りた。







おのれ台風

台風11号
N0.6 2015.7.15





台風が来る。
半年前から準備してきた我家の旅行に狙いを定めるように。
17日午前9時の予報円が当日の旅先をすっぽりと被っている。
代理店では現在既にキャンセルを受付けている。
支払済みの旅行代金は全額戻ってくるのだが、旅行に合わせて夏休みを取った娘が諦めきれずにいる。
夏休みをキャンセルすることはもちろん出来ないからだ。

娘は予定通り明日の終業後JRで伊達から帰って来る。
明後日は朝8時半の便で羽田へ向かい、乗り継いで広島空港へというプランである。
だから千歳空港に7時半には着いていなければならず、我家を6時半に出発しなければならない。
羽田行きは予定通り運行するかもしれない。
それに乗ってしまうと、そこから先で何が起きても最早全額返金を主張できない。
だから搭乗前に羽田発広島行きの運行予定を確認し、欠航が決まっていたらそこでギブアップするというのが娘の希望だ。
今夜もう一度電話で相談することになっている。
最終的な方針を決めようと。
このところ長話をするせいだろうか、今月の請求がいつもの三倍になっていた。






違憲上等

安全保障
No.7 2015.7.16





安全保障関連法案が可決され衆院を通過した。
強行採決だと騒ぐ野党のみっともない様を見ていて情けなくなった。
痩せ犬の遠吠えと言う以前に品格を疑う。
国会周辺に今更集まっておだを上げる連中も同様。

この国では議会制民主主義のルールに則り物事を決めることになっている。
だから多数は正義だ。
本法案の可決には何の問題もない。
違憲かどうかは関係ない。
それを判断するのは裁判所の管轄だ。
及び腰の裁判所は、これからも大抵政治的判断をするだろうが。

そもそも違憲が悪と言うなら自衛隊はもういいのか。
この国は自衛隊という違憲を何十年も放置してきたのだ。
誰一人、とは言わないが本気でそれを正そうとしなかったじゃないか。
違憲だけど必要、だから黙っとこう。
票にならないからうやむやにしておこう、そういう事だったでしょう。

軍隊を持たない主権国家というものはありえない。
強盗撲滅を唱えても強盗がなくならないのと同様、戦争反対と叫んだところで戦争はなくならないからだ。
であれば方法は二つしかない。
武装中立か軍事同盟かの二択だ。
武装中立は根性もいるが金もかかる。
だから軍事同盟でいこうというのが集団的自衛権行使の中身である。
自分は一切手を汚したくない、金は出すからあんた頼む、この国は長年これで世渡りしてきたけれど、いつまでもそういう訳にはいかなくなってきたという事だ。

安倍晋三さんは大阪を見て憲法改正を諦めた。
苦労を重ねてやっと国会を通しても、最後は国民投票という高すぎるハードルが待っている。
国家の安全保障という重大案件を愚かな国民に委ねて、万一否定されたら大変なことになる。
有権者が賢い判断をするとは限らないのは、なにも大阪に限らずギリシャを見ても明らかだった。
ならば解釈改憲でたくさんじゃないか。
それがこの国に一番相応しいやり方だ。

文句があるなら選挙に行こう。
それが国政に参加する唯一の手段である。
他にはない。
やるだけムダ。
画像でプラカードを掲げる野党議員がアピールしているのは有権者の票に対してであって、委員長でもなければ与党議員に対してでもない。
そんな彼らに投票すれば日本がもっと良くなるのかといえば、それはなんとも言えないのだけれど。








行き先変更

台風11号ー2
No.8 2015.7.17




昨日のこと、呉の「艦船めぐりクルーズ」担当者から中止の連絡があった。
18日の宿泊地尾道の旅館からも「どうしますか」と。
言外に「やめとけば?早く結論出してくれると助かるんだけど・・・」のムードが漂った。
これは余程のことなのではないか。
危険地帯にわざわざこちらから飛び込んで行くことはない。
中止だ。




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今回これも残念だった。
10時40分羽田発677便の機材に、全日空はボーイング社の787型を予定していた。
全日空が自らローンチカスタマー(立ち上げ顧客)として深く関与し、三菱重工や東レが機体製造の多くを担った最新鋭機だ。
初搭乗のチャンスがやっと来たのになあ。
知る限り、トイレに窓とウォシュレットが備わる機体は787だけだ。
日本が作れば飛行機のトイレもこうなる。
更には東レ製カーボン繊維を多用したことで機体強度が上がり、結果的に十分な与圧と窓面積拡大に成功している。
その窓は連続的に色が濃くなる電子カーテンを採用しているという。
それをこの目で見たかった。




函館へ

チャリ1
No.9 2015.7.18




意外にこれも台風の影響か、札幌は快晴で気温も上がる。
しかしカラッと湿度低く、大変気持ちの良い夏の一日。
よし、サイクリングだ。
娘と二人チャリで出掛けた。
先ずは30分ほどの距離にある「シチュー屋さん ポトフ」で昼食。
約一時間滞在するもすべての客が女性だ。
ちょっと居心地悪いやね。
ビーフシチューのランチにデザートを付ければ2000円ちょっとだ。
マダム達は亭主がコンビニ弁当を食べ、せっせと働くウィークディに、こっそりプチ贅沢をしておられる。
我々は娘のチョイスでデザートを他所の苺パフェ(画像省略)にした。
通常人前で苺パフェはちょっと憚られるが、幸い平日で客も少なく助かった。




チャリ2


チャリは結構いける。
素人だから何より天気が大事で、そう何度もチャンスはないが条件整えば大変楽しい。
約40キロのコースを完走すると「やった!」感いっぱいで大満足だ。
ただ、妻はそうでもなかったらしい。
「いつか言おうと思っていたけどなかなか言えなくて・・・」
どうも無理に付き合っていたようだ。
熟年離婚というやつもこんな風に切り出されるのだろうか。
そんな訳で妻のチャリが娘に回り、父娘サイクリングが実現した。
ついでに私のトレックを息子に渡し、新たにトレック7.4をゲットした。
フロントフォークがカーボンになり快適だ。
今回息子にも声をかけようと思ったが、ヤツは電話に出ず返信もしてこない。

さてと、これから函館ツアーbyラングラーに出発です。
三人で運転を交代しながら日本海沿いを行く予定。
積丹・島牧・江差・松前・などに寄るコースだ。
瀬戸内の仇をとれるだろうか。








第一日 島牧村

積丹岬1
No.10 2015.7.22




積丹半島を走る。
雨模様。
海沿いの道を行く車は少ない。
積丹岬で昼食。
いくら丼、シーフードカレー。
情けない。
普通以上なのは値段だけだ。


積丹岬3



奇岩が連なる。
地球の営みがこの風景を残した。
なかなか読み進められない「生命の惑星」を思い出しながら走った。
こうした景色を眺められるコースが消えていく。
沿岸ルートのトンネル化が進行しているからだ。



ちはせ川2



この日は島牧の「ちはせ川温泉旅館」に逗留する。
プリミティブである。
部屋にあるのはドアと天井の明かりと畳だけだ。
バス・トイレ?洗面台?冷蔵庫?ないない。
バスタオルすら提供されない。
それでいて料金は安くない。
疲れから食後爆睡。
親子三人川の字になって。
降りだした雨音がBGMである。






第二日① 江差

江差1
No.11 2015.7.23




トンネルだらけの海岸線を南下。
瀬棚を通って江差へ向かうルートだ。
江差の歴史は古く、江戸時代初期には繁栄が始まっていた。
ムーブメントの源泉は鰊漁だった。
今ではもう忘れ去られた寒村に過ぎない。
地元は北海道新幹線に相当期待しているようだがどうなるだろう。


江差3



姥神(うばがみ)大神宮は1644年の創建と言われる北海道最古の神社だ。
この頃の札幌はヒグマがうろつく原野だった。


江差2



明治20年に建てられた旧檜山爾志(ひやまにし)郡役所。
朽ち果てかけていたが、最近になって大改修されている。
壁板の下から竣工当時の壁紙が出てきた。
それを川島織物に復元させ、様々なプリントの柄物を京都の染工場が製作したようだ。
学生時代に染工場のアウトレット品を香港のバイヤーに売る怪しいバイトをしていた事があった。
当時(現在も?)ロンシャンやエルメスのプリントは京都の染工場で作られていた。
熟練した職人が手作業で一反一反丁寧に染めていくが、当然B級品も出る。
それらは処分された事になっているが、実際は裏で香港に流れていた。
香港人バイヤー達は恐らく私と同年輩だったと思う。
皆たくましく狡猾で気前が良かった。
そんな事を懐かしく思い出した。


江差4



いにしえ街道。
これにはちょっと驚いた。
平成元年より十数年をかけて行われた「歴史を生かすまちづくり事業」によって約1kmにも及ぶ街並みが形成されたのである。
江差にそんなものがあるなど聞いたこともなかった。
地中化された電線を含め、ほとんどが税金で賄われた。
個人の住宅も店舗も、そのほとんどを税金で建て替え、あるいは改修したのだ。
これは沖縄から当地へ嫁いできたという「斉藤製籠店」のおばちゃんによる証言。
とても立派な街並みが公金で作られた。
しかし連休中にも関わらず、観光客の姿はほとんど見当たらない。



江差5



本日、札幌の地下街を歩いていたら、偶然このようなポスターに遭遇いたしました。








第一日の追記

ちはせ川温泉
No.12 2015.7.24




島牧村のちはせ川温泉について思い出した事がある。
ここは携帯の「圏外」であった。
今時人の生活圏に圏外があるとは思いもよらず、私は買ったばかりの携帯が壊れたと思った。
機械の初期不良はよくあることだ。
しかしそうではないとすぐに分かった。
私の携帯はドコモだが、娘のAUも同様だったからだ。
ところが妻のソフトバンクだけは三本立ちしていたのである。
どうもTVのCMは本当かもしれない。
過去にソフトバンクを使ったこともある。
10年ほど前のことだ。
当時のソフトバンクはまだ繋がらない所ばかりで、とても仕事では使えなかった。

ちはせ川温泉は特異なケースかもしれないし、そうではないのかもしれない。
それは分からないが事実こういう事例がある。
ダメなものがいつまでもダメとは限らないし、その逆もあるという事か。

ところで今使用している機種の前の携帯(両方ガラケー)を5年ぶりに買い替えたのが昨年の11月だ。
それをわずか半年で再度買い替えたのには理由がある。
「Bluetooth」だ。
私の携帯には仕事の電話がどんどんかかって来る。
当然こちらの事情など一切考慮されることはない。
食事中でもトイレにいても常に油断できないのだ。
なかでも一番困るのが運転中だった。
Bluetoothがそれを一気に解決できると妻の車で知った。
車載のマイクとスピーカーによって完全なハンズフリーが実現する。
これは素晴らしい。
そして先月買ったラングラーにもその機能があった。
これを使わない手はないのだが、残念ながら半年前に買った携帯の側に備わっていなかったのだ。
その時点でBluetooth機能の存在すら知らなかったとはいえ、計画性が不足していたことは事実である。
因みにスマホであればどの機種であろうともBluetooth機能付きであるから、昨年11月に潔くガラケーを諦めて何でもいいからスマホを買っていれば防げた事態でもあった。
でも気に食わないものは気に食わない、仕方ないわな。







第二日② 松前

松前1
No.13 2015.7.25




江差から松前までは一時間半ほどの距離だ。
この地は嘗て松前藩の城下町だった事でのみ知られている。
そうそう、あと松前漬けがあった。
甲斐武田の流れを汲む(真偽不明)という松前氏が城を築いたのは15世紀のことだ。
幾多の戦火を免れた松前城天守が失火のため落ちたのは昭和27年である。
現在も残っているのは石垣や一部門のみで、天守閣はRCだ。
もったいない事をした。



松前2



松前藩が押さえていたのは道南の一角、この界隈のみであり、それ以外は外国だった。
その外国に住んでいた人たちがアイヌだ。
松前藩はアイヌとの交易によって成り立っていた。
明治になり、日本政府は外国を勝手に「開拓」し始める。
もちろんその行為を別の言い方で呼べば「侵略」である。
そのことで和人には疾しい気持ちがある。
それ故かおかしな逆差別が色々あるようだ。
私の娘は失業保険の窓口で働いているのだが、申請時にアイヌだと言えば特別厳格な証拠を要するでもなく、比較的簡単に失業保険の給付期間が約四倍になるらしい。
日本にはこの手の暗部がたくさんある。
イヤな話だ。





相対的マシ

台風12号26日
No.14 2015.7.26





また台風だ。
札幌も朝からはっきりしない天気で、テニスの時間が来ても結論を出し辛く、様子を見に一応コートまで行くことになった。
途中でまた降りだした。
コートに着く頃には降ったり止んだり状態。
出来るところまでやろうとアップを始めゲームに入る。
そしてとうとう最後までやり今戻ったところだ。
オムニコートでありがちな話。
ハードコートなら悩みも少ない。
ちょっとでも降れば即中止だ。

なぜオムニコートを使うかといえば、春と秋の団体戦の全てがオムニコートで行われるからだ。
現段階でハードコートを使用する意味がほとんどない。
諸々の事情からその団体戦も春を最後に終了かと思われた。
ところが先ほど皆の話を聞いていると、意外にそうでもないのかもしれないと思った。

今日はテニスシューズを忘れ、革靴でやるはめになった点を除きまあ良かった。
ただパートナーの上を抜かれたロブを追い、バックハンドのパスを打った後で滑って転倒という少し危ないシーンがあった。
転倒後球の行方を確認できなかったが、どうやらパッシングショットはネットを越えてこちらのポイントとなり、同時にそれがゲームセットだった。




おっちゃんのオーディオ 004



先日のオーディオクリニックで、実は少しヒントを頂いた。
ウーハーのケーブルを逆相で接続してみた。
もちろん左右両方だ。
片方だとあの事件の轍を踏むことになる。
これで一気に低域が豊かになった。
そこで本日チャンネルデバイダーの設定を少し変更してみた。
豊かになった低域のレベルを下げ、もう少し音の抜けを良くしたかった。
現状は画像の通り。
明光義塾「合格祈願ものさし」値でHigh8.5センチLow7.5センチとなっている。
HighLow差1センチだ。
以前は3センチだった。
カットオフ周波数500Hz、減衰特性-24㏈。
相対的に現状の設定が一番マシである。








第三日① 函館へ

白神2
No.15 2015.7.27




松前から函館へ向かう途中にある北海道最南端「白神岬」。
かなり気を付けていないと見落としてしまいそうだ。
ご覧あれが竜飛岬北のはずれと見知らぬ人が指をさす・・・
しかし実際の本州最北端は下北半島の大間崎だ。


白神3



青函トンネルが結ぶ竜飛岬と白神岬付近の福島町。
木古内から福島を経て松前まで行っていた松前線が廃止されて30年近くになる。
過疎化、高齢化がその間容赦なく進行した。
これまで通過してきた町村のうち、江差を除く積丹・神恵内・泊・岩内・寿都・瀬棚・松前・福島・知内全ての65歳以上人口が40%を超えている。
10年後には間違いなく限界集落となる所が出てくるだろう。
江差以外にJRの駅がないのをどう考えれば良いのか。
二つ言えることがある。
一つは一般に地元住民に根強い鉄道神話があるということ。
それは昨年復旧なった三陸鉄道(三セク)を見ても分かる。
またいつか津波で壊滅するかもしれない場所に元通り再開された三陸鉄道。
この際バス転換すべきとの意見もあったが、地元はそれでは納得しない。
鉄道がなくなったら大変な事になると言うのだ。
だから鉄道は極力存続の方向へベクトルが働き、長年に渡り財政を圧迫する原因ともなる。
二つ目はその鉄道神話がある程度尤もであること。
そもそも鉄道が廃線となるのは過疎化によって乗客が減り赤字になるからだ。
しかし遂に耐えられなくなった赤字路線を廃止する事で、その地域の過疎化に更に拍車がかかりトドメを刺される事になる。
一体どうすりゃいいんだ。



白神岬



こう言ってはなんだが、そんなこと私なんかに分かる筈もない。
何はともあれいい天気じゃないか。
そうだ、ミッションをこなすには最適の一日だ。
函館まであと二時間である。







第三日② 函館山

トラピスト2
No.16 2015.7.28




函館の手前にあるトラピスト(男子)修道院。
近所のトラピスチヌ修道院(女子専用)との合コンはしないらしい。



トラピスト1



中学校の修学旅行以来だ。
今でも中学生らはここを訪れるのだろうか。
考えてみれば何故修学旅行で修道院に来るのか不思議ではないか。
娘の希望でソフトクリームを食す。
いやはや、こんなに美味いとは恐れ入った。


日和坂1



ホテルから日和坂を上がってゆく。
途中にいい喫茶店を発見。



ハリストス1



ロープウェー山麓駅近くの言わずと知れたあの教会。
ロシア正教の日本ブランチのような存在だろう。
ハリストスとはキリストのギリシャ語読みであり、してみればギリシャ正教との繋がりも当然ある。
両者とも東方正教会として括られ教義に大きな違いなく、昨今のギリシャ危機において独仏が遂にギリシャを突き放す事が出来なかったのも、対応を誤れば心情的にむしろ近い筈のロシアに持って行かれる事を恐れたからだと言われた。
そのロシアの影響は19世紀地政学的な関係から北海道に及び、この地に教会すら建てられた。
やがて日露は帝国主義的な利害対立を先鋭化させ軍事衝突へと向かうことになる。

函館山は嘗て要塞だった。
日露戦争を意識した陸海軍が砲台を築き、明治30年から太平洋戦争が終わるまで、この山に一般人が立ち入る事は許されなかった。
そこへ行ってみようと娘が言った。
呉の艦船めぐり中止の代わりにと、ちょっとミリタリーオタクな父親に気を遣ったのだと思う。
情報が乏しくこの山のどこにあるのか定かでないまま、ロープウェー山麓駅から続く登山道を上り始めた。
途中に山の管理事務所があった。
ここで聞けば何か分かるかもしれない。

正解だった。
職員の方が丁寧に教えてくれ「函館要塞跡散策マップ」という良く出来た資料を手に入れることが出来た。
職員氏によればロープウェーで山頂へ行けば、大幅に負担が軽減されるとのことである。
我々は来た道を引き返し、山麓駅からロープウェーを利用することにした。
管理事務所に立ち寄らなければどうなっていたか分からない。
運よく遭難を免れても、おそらく要塞跡に到達することなど出来なかった筈だ。



函館山1



乗車3分で山頂へ。
当初我々は目的地が登山道の途中、山の中腹にあるのではないかと気楽に考えていた。
だからロープウェーに乗る必要なしと。
しかし実際には山頂駅のはるか先だったのだ。
徒歩で登っていたら何も発見できないまま、ここまで一時間以上かかっていただろう。
しかも我々の服装ときたら、とてもじゃないが登山などという格好ではなく、わたしなどはジャケット着用に革靴だったのだ。
この日の天候と気温を考えると、体力の大半をそれだけで浪費していたと思う。
知らない土地で迷ったら、然るべき相手に道を尋ねるのが鉄則だ。









第三日③ 函館要塞

要塞1
No.17 2015.7.29





函館要塞は日露戦争に備え函館港を守るために築かれた。
当時の日本政府及び軍部はロシアによる北海道進攻を恐れていた筈で、万一上陸を許した上函館港を制圧ないし破壊された場合、北海道に展開する部隊への兵站に大きな支障をきたす可能性があった。
要塞は津軽海峡の制海権確保を企図していない。
戦中同海峡においてロシア極東艦隊による日本商船への攻撃がなされたが、函館要塞からは一発の砲弾も発射される事がなかった。
主要兵装である28㎝榴弾砲の射程外だったからだ。
しかし函館要塞の存在を知っていたロシア艦隊は函館に近付かなかったので、本要塞は戦わずして目的を達成したのだった。

画像は千畳敷戦闘指令所跡だ。
航空機による偵察や弾着観測が行われる以前のことなので、このような山の上に観測所を兼ねて築かれたものだろう。
重機もなければトラックもない状況下、資材の運搬を含め全てを人力で構築したと思われる。



要塞3



密林の中けもの道をかき分けて行くと、突然このように開けた場所に出る。
嘗ては屋根もかかっていたであろうが残っていない。
覗き込むと一番低い所との高低差が3mほどあり、万一足を滑らせて落ちれば無事では済まない。
しかし特別な措置もなくほぼ放置された状態。



要塞4



これは指令所電話室の跡。
最大八名が配置され、各所砲台への命令がここから伝えられた。



砲台



御殿山第二砲台。
現地を見れば分かるが、砲座から敵艦を目視できない。
逆に敵からも隠蔽されていることになる。
目標設定及び弾着観測は砲座近くの小高い場所にある左右観測所にて行われた。
目標との距離・速度・着弾点を観測しながら弾道計算し、方位・仰角を合わせて射撃する。
しかし当時の工作精度で製造された砲と砲弾だ。
たとえ計算が正しくとも、高速で移動する敵艦に命中させるのが並大抵の難度でないのは想像に難くない。



函館 砲



同じ砲台を写した貴重な当時の写真がこれ。
28㎝榴弾砲が上を向いている。



砲 図



28㎝榴弾砲は対艦海岸砲として開発された。
一般的な砲(平射砲)と異なり、放物線を描いて砲弾を飛ばす曲射砲である。
見ての通り短砲身でそれ故短射程だが、運用上重要なのは軽量コンパクトである点だった。
そうでなければ道なき道をこんな山の上まで運ぶこともかなわない。
砲弾も軽量で炸薬も少なく、つまり威力が低かった。
旅順攻略戦に使用され活躍したとの説もあるが、実際はそうでもなかったらしい。
旅順港で撃破したとされるロシア艦隊であるが、その前の黄海海戦において大損害を受けており、既に戦闘不能となっていたようだ。
しかし旅順港にそれらを修理可能なドックもなく、日本側に鹵獲されるのを恐れて自沈したとするのが現在の定説となっている。

28㎝榴弾砲はそもそも殆ど命中しなかったようだ。
空に向けて撃った砲弾を放物線を描き命中させる困難はちょっと考えればすぐ分かる。
テニスコートを考えてみよう。
相手コートのサービスライン上にボールの缶を置く。
この小さな目標(海上の艦船は極めて小さな目標だ)にロブで命中させるのと、サーブで狙うのではどちらが精度を出しやすいだろうか。
仮に私がやるなら、100球あればサーブなら多分当てられるだろう。
元コーチがやれば20球もあればいけるかもしれない。
だがベースライン後方から球出しする高いロブならどうだ。
恐らく奇跡が作動しない限り当たるものではない。



三郎



この日我々は歩きに歩き、くたびれ果ててホテルに着いた。
ロビーにこんな施設が隣接していた。








今年も夏 高速通過中

有明
No.18 2015.7.30




札幌にも「有明の森テニスコート」がある。
清田区のDEEP市街化調整区域だから周囲をズッポリ自然に囲まれている。
野鳥がさえずり蝉が鳴き、昨今ではどこから来たのかカブトムシが姿を現すようになった。
ヘビがベンチの下でトグロを巻いていることもあれば、鹿が遠くから様子を窺っている時もある。
さすがに今のところ熊を見たことはない。
しかし居ても不思議はないだろう。
テニスコートはフェンスで囲まれているので、きっとコートに入って来ることはない、と思いたい。

もう何年も毎週水曜日のレッスンに通っている。
毎週といってももちろん夏のあいだだけだ。
雪が積もればテニスコートなんかどこにあるのか場所さえ特定できなくなる。
水曜日、私は仕事を休んでいる。
同業者の多くが休みなので、事務所に居ても仕方がないからだ。
ただし事務所の電話を転送にして携帯で受けているから結構かかって来る。
多くは光電話がお安くなりました等の営業なのだが。
転送電話というのは私の事務所から携帯までの通話料をこちらが負担している。
だから下らない電話は勘弁してもらいたくなる。
中には間違ってFaxを電話の方に送ってくるヤツがいて、これは本当にやめてもらいたい。

平日の水曜日に「有明の森テニスコート」へ行くと、まず殆ど誰もいない。
十数面あるコートで使用されるのはレッスンの一面だけ。
あとは狐狸が走りまわるのみだ。
クラブハウスに受付の女性がなぜか二人もいて、パソコンの画面など眺めているが、なに仕事なんかしてはいまい。

昨日はまた異様に蒸し暑く、身体がだるくてテニスなどやる気分ではなかった。
届く所に打ってくれよ、と言いたくなった。
そんな悪天候下男子シングルスの大会をやっていたので驚いた。
水曜日だぞ、人が集まるのか?
それがいるんだよ。
十人以上参加したという。
不動産屋ばかりではないだろうか。
それにしてもあの暑さでシングルスとは恐れイリヤのクリヤキン。
まったくご苦労なことだった。

私はといえば、ぐったり疲れて一杯飲んだら早々と寝てしまい、こんな時間にパッチリ目覚めている。
今はもう4時になっても薄暗い。
それはそうだ、夏至からひと月以上経過しているのだから。
つまり太陽のパワーが5月下旬と同程度まで低下している訳だ。
今の暑さはほんのつかの間、夏の余韻に過ぎない。
暑い暑いと文句を言うがもう間もなく秋じゃないか。
すぐに涼しくなり寒くなるのだから、あまり贅沢言うものではないぞと天の声。
そりゃそうだ。
せやけど暑いものは暑いわ。







第四日 大沼へ

想苑1
No.19 2015.7.31





前日疲れ過ぎて行けなかった「想苑」に寄る。
この店は2013年8月のみちのくジャズ喫茶行脚の折にも行ったことがある。
現在函館唯一のジャズ喫茶だろう。
「いい音」と娘。
そうなのだ、前回も思ったが非常にいい。
金のかかり方では多分勝っている。
しかし出ている音で私は敗けている。

しばらくすると土砂降りになった。



想苑2



雨とほぼ同時に客が集まってきた。
常連の老人ら(と思われる・・・なぜかと言えば爺さんも婆さんも態度がデカいからだ)が何やら集会を始めるようだった。
ここは店内が二つのエリアに分かれており、彼らはスピーカーと反対側のエリアに入った。
おかげで幸いこちらには何の影響もなかった。
どうもこうした事がしょっちゅう行われている様子だ。
こんなことを言いたくないが、老人らは誰一人ジャズっぽい姿形をしていない。
ジャズを聴きになんか来ていない。
すまない、事実だ。
それが少し悲しかった。

我々は2時間近くを店で過ごし、お勘定は1350円だった。
三人分である。
ジャズ喫茶がなくなる訳だ。



クロフォード2



想苑を出て雨の中を大沼へ向かう。
今回急な目的地の変更だったので、宿の選択肢は非常に限られた。
ここは前にも泊まったことがある。
一応オーベルジュの体裁で色々頑張っているのだが、どこかチグハグで垢抜けない。
連休に空室あるも宜なるかな、そう言わざるを得ず。



クロフォード1



この宿、鉄道会社が経営している。
それを聞けば納得がいく。
建物も調度(ヘラ鹿の頭はどうもな・・・)も頑張っているし、部屋にバスローブ(私にとって評価を決定付ける最終重要アイテム)が備わるし、と非常にいいところまで来ているのに惜しい。
最後の一押しが足りないというかダメなんだな。
それはおそらく、スタッフがこの職場に向いていないせいだ。
やり方を変え、価格設定を変えればもっとずっと良くなるのに。

それなりの訓練を受けた接客業のプロを置かなければダメだ。
ホシが取れるくらいの料理を出さなければダメだ。
ワインリストをもっと充実させなければダメだ。
いい感じの売店で温泉饅頭みたいな土産物を売ってはダメだ。
廊下に北海道新幹線のポスターなんか貼っちゃダメだ。
要するに当初設定していた筈の高級志向からズレてしまっている。
もっと高くてもいいんだ。
客が満足し悦んで金を払いたくなる宿、リピーターが多く予約が取れない宿になる素質があるのに。



クロフォード7



実は既にここの売却が発表されている。
鉄道会社は売却資金を線路の整備費に回すという。
不採算部門の切り捨てという内部事情もあるだろうが、せつない話だ。
通常このようなケースでは相当な割安価格での取引が行われる。
ここを引き受ける事業者に、安く買えた分で更なる本物志向のリニューアルを希望したい。
宿の名前は鉄道由来の人名なのできっと変わってしまうだろう。
それは仕方ないと思う。
次に行く時はもっといい宿になっている、そんな気がする。






第五日 大沼そして帰宅

大沼3
No.20 2015.8.1





最終日、実際には7月22日のことである。
朝から微妙な天気で、突然降ったかと思えばご覧のように晴れたりを繰り返し、終日蒸し暑い一日だった。
傘を持って散歩しようと娘が言うのである。
そうかい、じゃあ行こうか。
父親は娘の言いなりだ。
大沼には何度か来たことがあるのに、どういう訳かこれまで歩いたことがなかった。
いい所じゃないですか。
散歩の間雨は殆ど降らなかった。



大沼1



モネの絵をジャケットに使用したローランド・ハナの「DREAM」というアルバムを思い出す。
「夢」に纏わる曲を集めたピアノトリオの企画モノだ。
「When I Grow Too Old To Dream 夢みる頃を過ぎても」最高です。

大沼というからには沼なんだけれど、畔を歩いてみれば湖との違いが実感としてよく分かる。
鯉がユラリと泳いでいたり牛蛙が鳴いていたり、ここは生態系が濃密である。


hanna2.jpg



娘を伊達まで送り、我々夫婦は5日ぶりで自宅へ戻った。
八月実施予定北半分一周のいい予行演習になった。
とにかく余裕をもって行動し、疲れ過ぎないように注意だ。
今度は二人なので余計余裕が必要になるだろう。
それと飲み過ぎないことだ。
翌日二日酔いなんかしてたら最悪だから。

今回の旅およそ1000キロを走破、平均燃費は9.7km/ℓであった。






今日も走り過ぎた

コペン
No.21 2015.8.2





軽自動車の販売が不振らしい。
今年4~6月四半期の販売台数がダイハツの場合だと、前年同期比20%のマイナスになった。
これが4月に実施された軽自動車税増税の影響だと言うのである。
7200円が10800円へと3600円引き上げられただけなのだが、随分シビアなものではないか。
しかしだ、そもそもが軽自動車以外と比べて安すぎたのだ。
不公平感で言えば一票の格差どころではなかった。

更に言えば増税後の10800円が妥当か。
いや、まだまだ安いと思う。
基本的に排気量に比例した課税自体に疑問を持つ(たとえば大排気量車=高額納税車の専用、もしくは軽自動車=低額納税車の専用レーンがあるというのなら別だ)が百歩譲って認めるとしても、他との比較でいえば軽自動車と称するモノ、最低でも20000円は負担すべきだろう。
今となっては特段優遇する必要などない。
必要があるとすれば選挙の票にとってのみであり、まさにこれを以て卑近なポピュリズムの極みとなす。
軽自動車は主に地方の家庭で二台目以降の必需品であるから、ダイハツは心配しなくても次第に回復しやがて元に戻る筈だ。



もまみ2



本日はこのコートを使った。
毎週のことだからコートを確保するのも実は大変だ。
といっても妻がやっているので私などはエラそうなことも言えない。
有難く使わせて頂いている。
今日も暑かった。
だが実は朝からすでに気配が変わっていた。
暑いには暑いのだが、ガマンできないくらい暑いかと言えばそんなこともない。
プレー中は暑い。
でも交代してベンチに座っている時は、気持ちの良い風に吹かれて幸せな気分にすらなる。
ご覧の通りのコンモリとした山を背景に持つ。
時にはリスが姿を見せたりもする。
油断していると上から蛇が落ちてくる事もあるのだけれど。








野球少年は今

大谷
No.22 2015.8.3





かつて巨人ファンだった。
V9達成の時は興奮した。
長嶋引退に涙した。
それは元々少年野球の選手だったせいもある。
我々の世代は皆が野球少年だった。
近所の原っぱで三角ベースに興じた世代だ。
私は主に三塁手で五番バッターであり、リリーフピッチャーでもあった。
後年のテニススタイルと同様に、どこか変則的な選手だった。
カーブもシュートもスライダーもフォークボールも投げられたが、ストレートの威力だけが不足していた。
当然の如く「巨人の星」の熱心な読者だった私は、江川の中国鍼引退と同時に野球への興味を失った。
だから日本ハムには全く関心がない。
そればかりか、昨日まで巨人ファンだった筈の道民の安直な心変わりに白けるばかりだ。
報われない深情けより手近な相手が良かったのだろうけれど。

それはともかく、某誌に面白い記事を見つけた。
石黒かおるさんというおそらく女性が書いた記事だ。
日本のプロ野球選手が女子アナと結婚する風潮にイチャモンつけている。
大リーガーは女子アナと結婚しないのだという。
むしろそれは御法度であり、不文律化してさえいるらしい。
関係が損なわれた時に仕事に支障を生ずるからだ。
では大リーガーは誰と結婚するかといえば、高校時代の恋人が多いと言うのだ。
「アメリカングラフィティ」などで観たプロム・パーティという卒業前のイベントがある。
そのパーティに女の子を誘い、後年の大リーガーはその娘と結婚するケースが多いという。

日本の高校球児らにそんな素敵なイベントなどない。
球児ではなかった(最早笑い話だが高校では軽音楽部だった!)私にもなかった。
だいたい共学とは名ばかりでクラスに女子は数人しかおらず、そのような企画自体成立しなかったのだ。

日本の高校球児は野球漬けで女性に免疫がないばかりかそもそもバカで、はじめから狙って接近してくる大卒の女子アナに手もなく籠絡されるのだと石黒さんは主張している。
今時の女子アナは大抵元ミス○×大ばかりであり、経験豊富で凄腕なのだそうだ。
そして大ファンであるという大谷選手がそんなけしからん女子アナの毒牙にかからぬよう心配し、「大谷君!高校時代の彼女はいないの?」と余計なお世話を焼いている。
老婆心とはよく言ったものだな。

大谷君どうする?









マレーシア機か? ①

777.jpg
No.23 2015.8.4




昨年の3月に突如消息を絶ったマレーシア航空機と同じ機種(ボーイング777)の残骸が発見された。
場所はインド洋上の仏領レユニオン島(マダガスカルの東800キロ)だ。



レユニオン



マレーシア航空MH370便は2014年3月8日の深夜0時41分、マレーシアの首都クアラルンプールを離陸し北京へ向かう筈だった。
ところが離陸から一時間後にマレーシア航空管制レーダーの圏外へ出る際、管制官と「Good Night」のやり取りを最後にレーダーから消失、そのまま消息を絶ったとされた。
しかし実際はベトナムの管制下に入る直前、左旋回して航路を逸脱マレー半島を横断後インド洋を西へ向かっている。
マレーシアとタイの空軍レーダーに捕捉されていたことが後日判明したのである。
空軍がなぜこれを放置したかといえば、通常軍は民間機にあまり関心を持たず特段の脅威とも認識されなかったからだ。
MH370便はそのまま乗客乗員239名を乗せ姿を消した。

本件には複数の不可解な謎がある。
最大の疑問点はマレーシア機がどこへ消えたか、という点にあったが、どうやらこれは決着がついたようだ。
次にこれが事故か事件かという点だ。
これについて元日航機長の杉江弘氏が「マレーシア航空機はなぜ消えた(講談社)」で事件だと断定している。
MH370便は連絡を絶ってのち約6時間飛行を続けていたことが、通信衛星などのデータから判明している。
連絡を絶ったとは、地上との交信手段である「トランスポンダー」と「エーカーズ」の切断だ。
マレーシア政府の発表では、この二つが何者かによって故意に切断されたことになっている。
MH370便は意図的に通信を絶ち、それから6時間余り飛行を続けたという。
これは事故説から合理的な説明を排除する。
一時「ゾンビプレーン説」が言われた。
何らかの事情でコックピット内の乗員が意識を失い、機体はコントロールを失ったままオートパイロットにより飛び続けたというものだ。
しかしこれはない。
コックピットとの連絡がつかない事に客室乗務員が気付き、すぐに騒ぎになるからだ。
この機体のファーストクラスとビジネスクラスには、クレジットカードでいつでも操作可能な電話機が設置されている。
そんなことになれば当然、家族などに何らかの連絡があるだろう。
しかしそうした事実はなかった。
つまり客室では最後の瞬間まで、誰も異変に気付かなかったということになる。
これはせめてもの慰めと言っていいかもしれない。








全室冷房中

台風13
No.24 2015.8.5





本日、札幌の予想最高気温34度と脅かされていた。
台風13号の影響で太平洋高気圧が日本をすっぽり覆っているらしい。
そのせいで台風は日本に近づくことも出来ず、台湾直撃コースが予想されている。
因みに台湾のすぐ東に散らばる島々が宮古島などの先島諸島だ。
あの尖閣も含まれる。
見ての通り日本本土よりも台湾にずっと近い。

遠く離れた圏外とも思える札幌にまで影響を及ぼす台風13号は相当強力だ。
汗びっしょりで目が覚めた。
洗濯物を増やしてゴメンと内心、アクロバチックな姿で眠る横の妻に詫びる。
朝5時の時点でもう27度だった。
何もかもボーッとしている8月5日の朝。
こりゃやばい。
今日は屋外テニスなのよ。



ariake3.jpg



真夏のテニスで最悪なのはハードコートだ。
やった人にしかわからない。
照り返しで死ぬほど暑いのだ。
次がオムニコートで、本日のクレーコートならかなりマシな方。
時折吹く風にホッとする。
しかしあまりの高温故か表面が乾き表土がめくれてきた。
慌てたKさんが散水を始めたが、今度は泥々になりかえって往生する状態。
こちらはそれを眺めながら段々気が遠くなってきた。

帰り際クラブハウスの横を蛇が這っていた。
「それマムシですよ」とKさん。
ギョッとして足を止めた。
マジすか?
ヤツと目があう。
チロチロと舌を出す30センチほどの小振りな蛇は、床下換気口からクラブハウスの中へ姿を消した。










リトルボーイとファットマン

リトルボーイ
No.25 2015.8.6





アメリカが広島に投下した原爆「リトルボーイ」はウラン型と呼ばれる。
ウラン235の塊二つを火薬の力で一か所に集め臨界量とするもので、この構造からガンバレル型とも言われる。
長崎に落とされた「ファットマン」はプルトニウム型である。
プルトニウム239を球の外縁部に配し、やはり火薬の爆発により中央に集めるインプロージョン型である。
そのため形状がリトルボーイとの比較で丸くなり、「ファットマン(ふとっちょ)」と呼ばれた。
かわぐち かいじ氏の「ジパング」において、沈みゆく戦艦大和艦内で炸裂したのはウラン型とインプロージョン型のハイブリッドだ。

技術的により容易なリトルボーイはウラン235が高価なためコストがかかり、二か所のウランを合体すれば必ず臨界量を超過するので運用上の安全性が低い。
一方のファットマンはコスト面安全面ともに有利だが、技術的には複雑で難しかった。
アメリカは両方を実際に試してみる必要があった。



ファットマン



広島の慰霊碑にある「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませんから」を批判する声がある。
誰が何を誤ったのか、という声だ。
確かに日本の指導者は二重の過ちを犯した。
①勝てないケンカを始めた。
しかもそのケンカの始め方が良くなかった。
「リメンバー・パールハーバー」などと言わしめる事のなきよう、くれぐれも注意すべきだった。
作戦の成果よりもだまし討ち回避に力点をおき、宣戦布告が相手方に通告された事を確認後「ニイタカヤマノボレ」を打電すべきだった。
②そして引き際を知らなかった。
この事により死なずに済んだ人が大勢死んだ。
いや、実際には殺された。

日本の指導者の過ちが悲劇を生んだことは確かだ。
しかしより大きな過ちが加害者側にある。
広島と長崎で起きたことは事故でも災害でもない。
今では何か地震や津波や噴火のような自然災害と同列に語られているように感じられる。
が違う。
殺人事件である。
それも人類史上ホロコーストに比肩し得る非戦闘員の大量虐殺事件だ。
実はそうした認識が加害者の側にすらある。
東京裁判の時点で既にあった。
勝者の戦争犯罪は裁かれないのか、と。
しかし被害者側でそれを有耶無耶にしたまま70年が経過してしまった。
日本の指導者は三重の過ちを犯したのだ。








マレーシア機か? ②

杉江2
No.26 2015.8.7





ボーイング777は747(ジャンボ機)の後継機として1986年に開発がスタートした。
フェイルセーフ(多重安全)に基づくハイテク機である。
例えば飛行中に片方のエンジンが停止した場合、従来の機体でこれを真っ直ぐに飛ばすことは困難を極めた。
しかし777以降の機体では、コンピューターによる方向維持の自動化に成功している。

今日では航空機事故の殆どがヒューマンエラーに起因するとされる。
つまり整備ミスと操縦ミスということになり、人間がミスしなければ殆ど落ちることは考えられないというところまで旅客機は進歩した。
しかしもう一つの落とし穴があったのだ。
それが乗員の故意による墜落だ。

MH370便の墜落原因は事故ではない。
そのように本書の著者である元日航機長の杉江弘氏は主張する。
事故でなければ事件だ。
すぐに爆弾テロなどが頭に浮かぶ。
だが、テロリストによる犯行の形跡は今のところ何もないのである。
犯行声明のないテロはあり得ない。
であれば本件の一年後に起きたジャーマンウィングス9525便のケースが想起される。
パイロットの自殺に巻き込まれたとされるものだ。

だがそれも考え辛いと杉江氏は語る。
本機のパイロットに自殺する動機が見当たらないというのもあるが、自殺目的であれば航路逸脱後6時間も洋上を飛ぶ必要がないと言うのだ。
9525便と同じように山岳部に急降下で突入するのが最も確実であろうと。

そもそも本機の機長ザハリエ・アハマド氏とはどういう人物だろう。
実はマレーシアのカリスマ政治家アンワル・イブラヒム元副首相の親戚であり、熱狂的な支持者だったことが判っている。
アンワル氏は現マレーシア首相ナジブ・ザラクの政敵で、同性愛を理由に禁固5年の実刑判決を受け服役中だ。
ザハリエ機長は密かに搭乗機をハイジャックし、アンワル釈放を要求してマレーシア政府と交渉したのではないか。
副機長は恐らく早い段階で無力化ないし排除されたと考えられる。
コックピット内には斧などの凶器となる物がたくさんあるらしい。
客室乗務員からコックピットへの連絡に機長が応答する限り、副機長が一切出なくても客室側で疑いを持つことはない。
つまり副機長は客室側からの連絡に必ずしも出る必要がない。
逆はだめだ。

しかしどうやって交渉?
当局によればMH370便は「何者かの手で」故意に通信を遮断されたことになっている。
「トランスポンダー」と「エーカーズ」である。
確かにトランスポンダーはコックピット内のスイッチ操作で遮断可能だという。
しかしもう一方のエーカーズには事実上電源スイッチがなく、遮断できない構造らしいのだ。
マークレビンソンのプリアンプのようなものだ。
常に電源が入っている。
ザハリエ機長とマレーシア当局はエーカーズを使い交渉を続けたのではないか。
杉江氏はそのように推測している。

機長の方法は従来のハイジャックに比べて画期的なものだった。
これまでハイジャック犯は飛行機を制圧するとどこかの飛行場に着陸し、そこで要求を提示して交渉に入るといったスタイルだった。
これに対し「人命は地球よりも重い」などと言い、ハイジャック犯の要求を全面的に受け入れる政府も嘗てあった。
しかしこれが諸外国の批判を浴び、爾後ハイジャック犯に屈する政府はなくなった。
人質の犠牲も覚悟した特殊部隊の突入によって解決が図られるようになったのだ。
ザハリエ機長はこの点を十分認識した上で、最も可能性の高い方法を選んだ。
はじめから死は覚悟していただろう。
しかしマレーシア政府が機長の要求を受け入れる事はなく、交渉のタイムリミットでもある燃料切れによりMH370便はインド洋に墜落した。
マレーシア当局に妥協の余地など初めからなかったのではないか。
239名の乗客乗員というが、乗客の大多数は中国人だ。
自国民は乗員以外殆ど乗っていない。
それらが失われることくらい、マレーシア政府にとって痛くも痒くもなかったのではないか。
ザハリエ機長考案の斬新なハイジャック、しかしそれが却って黙殺を容易なものにしたのである。
難しいものだな。








夏から秋へ

hokkaido.jpg
No.27 2015.8.8





先月の南半分に続き、自分たちが生まれたこの島を一周しようというのである。
これでほぼ一周の完成だ。
今回ドライバーが一人減り、二人での交代制となる。
札幌 → 新冠 → 中札内 → 釧路 →根室
→知床 →紋別 →稚内 →増毛 → 札幌
全行程八泊九日の長丁場だ。
半分は生まれてこの方見たこともない土地である。
ゆっくり行こう。
先は長い。







無事帰宅

北海道1
No.28 2015.8.16





北海道を一周した。
文字通り海岸線をぐるっと周っただけなのだけれど広い。
あと一日二日延びていたら、もたなかったかもしれない。
体力的にきっと今が限界だったと思う。
五年後にやれと言われても恐らくもう無理だろう。
家に着いたらホッした。
それで一番先に何をしたかと言うと、アンプに火を入れた。
車に乗っている間ずっと音楽を流しっぱなしだったがやはりそれとは違う。
私は音楽に飢えていた。
やっぱり家はいいや。
なんだ、それならおとなしくずっと家に居らんかい。
一理ある。
でもそれじゃあつまらんでしょう。
行けるうちに行くが良い。
歩けるうちに。
大層疲れたので詳細は明日以降ということで。






新冠

北海道2
No.29 2015.8.17





旅の方針があった。
高速道路を使わないこと。
理由はシンプルで、ラングラーが高速道路に向いていないからだ。
基本的にゆっくり走るための車だから、高速走行がちっとも楽しくない。
そしてフロントガラスが屹立しているため、虫が当たってひどい事になる。

今時の車は空力への配慮が当然なされているから、5、60キロのスピードならフロントガラスに虫の痕なんかあまり付かない。
その点をラングラーは無視しており、のんびり走ってもたいして変らないというか、結局毎日高圧洗車機の世話になった。
いくらやっても無駄なのだが、せっかくの景色が台無しだからどうしても掃除したくなる。

この車はご覧のように屋根を外すことが出来る。
爽快だ。
ただし着脱は面倒。
ワンタッチでも電動でもない。
人力である。
三つのパーツに分かれていて、後部は60キロくらい重量があるようだ。
これを外すのは無理がある。
多分一生外すことはない。
外せばガレージにでも置いて出かけることになるが、カリフォルニア辺りの殆ど雨が降らないような所ならともかく、日本でそんな事が出来るわけがない。
だから外すとすれば前部のみだ。
しかしそれだけでも結構大変な作業になる。
二つに分かれたFRP製のパーツ(けして軽くない)を、180センチ以上の高さから力ずくで外す。
外した屋根を専用のバッグに収め、荷台に積んでおくのである。
雨が降り出したらそれを取り出して装着する事になる。
脱着に5分は要するので、急に土砂降りでも来たらエラい騒ぎになるだろう。
慌てて落下などさせ壊れて装着不能になるといった、あまりゾッとしない場面をつい想像してしまう。





北海道一周 001



そうこうするうち、最初の宿泊地が近付いてきたようだ。
崖の岩肌にペンキで描かれた馬。
そういえばどこかの国で殺風景だからと緑色にペイントした話があったな。
急いで車窓からカメラを構える。
「いかっぷ」ではない。
撮影に失敗したのである。










レコード館

北海道一周 008
No.30 2015.8.18




今回の北海道一周は台風のような反時計回りとなった。
実は当初の計画では時計回りだったのだ。
理由は特にない。
多分私の性格に起因するものだろう。
時計回りでは「新冠」が最終日となる。
この町で私にはどうしても行きたい場所があった。
それが「レコード館」だ。
正確にはレコード館の「レ・コードホール」、巨大なオーディオルームである。
レコード館ではこのホールを閉館の17時以降貸切にしている。
ところが私たちの日程で新冠を訪れると、丁度イベントと重なり使うことが出来ないのだった。
それではと全ての予約を白紙に戻し、北海道一周逆回りの旅が始まったのである。

「レ・コードホール」のスピーカーはGOTOのドライバーで駆動する4Wayのオールホーンシステムである。
人の背丈よりも高いダークグレーの物体は低音用のホーンだ。



北海道一周 007



中低音、中高音、高音部のユニットは比較的コンパクトにまとめられている。
あくまでも低音部との比較においての話だ。
レコード館は新冠の町営である。
これを組んだのはいったい誰だ。
町の職員にとんでもないマニアがいるのだろうか。



北海道一周 011



低音部ホーンはホールの壁を突き抜け隣室に及んでいる。
ドライバーが設置されるのも当然隣室ということになる。

やはりこれはプロの仕事だろう。
そう思った。
職員の方に尋ねるとホールの設計から機材のセッティングまで、すべてがGOTO UNITの仕事であるという。
GOTO UNITはYL音響を源流とする。
我家で使用するエール音響とは親戚のような関係になる。
音が似ているかって?
何とも言いようがない。



北海道一周 009



しかしながらこう言っては大変失礼だが、このような施設が何故このような片田舎にあるのだろう。
それも町営である。
金はどこから出た?
驚くべき回答があった。
竹下内閣のふるさと創生事業を覚えているだろうか。
各市町村に1億円をばらまいた悪名高き政策であった。
新冠町はそれを元手にこの施設を作ったのだそうだ。
この話に私は感心してしまった。
これほど立派な金の使い方を他に知らない。
レコード館はそれから全国に御触れを回し、不要となったレコードの寄贈をお願いしたという。
主を失ったレコード、あるいは主に捨てられたレコードが日本中から集まり、現在その数95万枚に及ぶ。












アビーロードB面

北海道一周 006
No.31 2015.8.19





貸切予約のあとでレコード館から連絡が来ていた。
当日聴きたいレコードのリストを提出せよとの事であった。
相当な自信である。
たいていのものならあるよ、というわけだ。
そして厖大な数量だから当日ではすぐに出せない、ということでもあるだろう。
そこでこちらも多分ありそうなものを4枚選んで知らせてあった。
4枚のわけは貸切時間が一時間なので、片面だけ聴いても4枚が限界だからだ。

先ずはマーティ・ペイチの踊り子A面をかけて頂いた。
No.30の画像に写る女性職員の方が操作する。
大好きなこの曲、一曲目の「イッツ・オールライト・ウィズ・ミー」が流れる。
どうしてこんなにリアルなんだろう。
呆れるほど完璧だ。
素晴らしいとしか言いようがなかった。

曲が終わるとすっとボリュームが下げられる気配があり「次はどうなさいますか?」とその女性。
何曲目にでも針を落とせますよ、という事なのだろう。
あっぱれだ。
しかし私は続けてA面全部をかけてもらうことにした。
素晴らしい、素晴らしい・・・
やがてA面終了。
「B面もお聴きになりますか?」
「いいえ、ここでレコードを替えてください。アビーロードのB面を頭から全部お願いします」

「ヒア・カムズ・サン」で始まり「メドレー~ジ・エンド」で一旦終わるアビーロードB面には、長い沈黙のあとに「ハー・マジェスティ」という短いオマケが付く。
私はこれがカットされるのではないかと思った。
つまりレコードが終わったと勘違いし、途中で針を上げてしまうのではないかと。
演奏後のプツン、プツンというエンドレスで無粋なノイズをレコード好きは嫌う。
だからそんな音を客に聴かせないのがジャズ喫茶の矜持ですらあった。
レコード館の方針も同様の筈で、事実「踊り子」A面4曲目の「アイ・ラブ・パリス」の演奏が終わったあと、静かにボリュームが絞られ針が上げられた。

「ハー・マジェスティ」のカットはありそうな話に思われた。
しかしそうではなかった。
アビーロードB面はきっちり最後までかかり、音もなく針が上げられる。
彼女はこのレコードを完全に把握していたのだ。











レコードの湯

北海道一周 010
No.32 2015.8.20





ハー・マジェスティを聴いた時点で残り時間15分を切っていた。
最大あと3曲かな。
私は少し焦りだし、ちょっと面倒なお願いをする事にした。
なんだか○○の間抜けな客みたいだ。
リー・モーガン 3からハサーンズ・ドリームとアイ・リメンバー・クリフォードだけかけて下さい。それでもし時間があればオーバーシーズをお願いします!」
ベニー・ゴルソンの名曲ハサーンズ・ドリーム。
ジジ・グライスが奏でるフルートの実在感が凄む。
リー・モーガンのトランペットは艶がありキレがある。
しかし少しもうるさくない。
ホーンシステムが管楽器を得意とするイメージは短絡に過ぎず、実際は極めてシビアな調整を必要とする。
レコード館の音は誰が管理し、維持しているのか?
GOTO UNITから毎年人が来て調整しているのだという。
アイ・リメンバー・クリフォードの哀切感が極まった時、まるで計ったように制限時間が来た。
「もう時間ですね。今日はありがとうございました」
この時既に私は彼女に連帯感すら感じていた。
「はい・・・でもトミー・フラナガンを一曲だけかけさせて下さい」
そう彼女は言い、大急ぎで「リラクシン・アット・カマリロ」をかけたのだ。
「また来てください」
いつかまた来たいと思った。



北海道一周 003



この日の宿は「レコードの湯」であった。
なにそれ?
ここも町営なのだろうが、レコード館はともかくレコードの湯はないだろう。
レコード館に寄らない客には訳がわからないと思われる。
実際には寄った客にもわからないが。

レコード館とレコードの湯は隣りみたいなものだと聞いて来た。
しかし実際は車で5分ほどの丘の上に建っている。
この辺りでは車で5分は隣りみたいなものなのか。



北海道一周 004



チェックインの時に夕食の予約をし、19時を希望した。
しかしその時間帯は満席ですと言われ20時になった。
我家的には随分遅い夕食である。
レコード館を出たのが18時過ぎだから、これはまあ仕方のないところだ。
風呂の帰りにレストランを覗いたところガラガラだったので、もしやと思いフロントに電話したら現在満席だという。
しかし1分後にフロントから電話があった。
レストランに行ってよし!と。
つまらない事を思い出した。

結局19時過ぎから夕食を頂けた。
何を食べたかそれはもう覚えていない。
ワインは飲んだような気がする。
まだ二週間も経っていないのだけど。

疲れ、食後すぐに就寝。



北海道一周 005











えりも岬

襟裳2
No.33 2015.8.21





新冠から海岸線を南下する。
次の目的地は帯広の南、中札内だ。
今回ここだけが内陸部となる。
さて途中で襟裳岬に寄るか?という問題があった。
これは少し迷った。
結局ここまで来たら寄ってくかとなった。
迷うこたない、二度とないかもしれない。
行けるだけ行こう。

襟裳岬は新冠から2時間ほどの距離になる。



北海道一周 018



歌の文句そのままだ。
襟裳岬には何もない。
それを確認しに行った。

突端とあるが実際にはもう少し先がある。



北海道一周 012



ここが本当の襟裳岬突端である。
後ろはガケだ。
落ちたらヤバいとびびる妻。

なあに滅多に落ちやせんよ、大丈夫あと30センチ下がってごらん。
さあ・・・

フフフ・・・でも気を付けたほうがいいぞ・・・
火曜サスペンスなら大抵落ちるんだよ。










モラルハザード

ゆうちょ8
No.34 2015.8.22





昨日のこと、閉店間際の銀行に滑り込んだ。
振込のためだった。
時間ギリギリになったのは確認事項があり手間取ったからだ。
確認事項とは「ゆうちょ銀行」の口座番号の記載方法だった。

他行(会社の口座)からゆうちょ銀行(私の口座)への振込なのだが、これはやった事がなかった。
先ず支店名をどうするのか。
私の通帳というのが、ほとんど使用しないせいで郵政省時代のものだ。
これには支店名の項目がそもそもない。
次に口座番号であるが、振込元の振込み用紙に記載する口座番号の枠が七枡であるのに対し、ゆうちょ側では八桁ある。

地方本部のようなところに電話で問い合わせる事にした。
電話口での回答は次のようなものだった。

①支店名
「記号」の左から二桁目と三桁目の頭にゼロをつけます。
あなたの場合(19070)は → 090が支店名ですが、「○九○」と表示してください。

②口座番号
八桁の末尾一桁を消した七桁が口座番号です。

何かしらの不安を感じた。
電話で応対した人物がなんとなく頼りなかったということプラス、振込金額が少し高額だということだったと思う。
そこで私はどうも不安であると率直に言い、上司に確認してくれないかと頼んだのである。
しばらく待たされた。
そして「これで大丈夫です。間違いありません」との回答を得た。

それから振込用紙に記入を済ませ銀行へ走ったら閉店ギリギリだったという訳だ。
私は更に銀行の窓口でも経緯を話し、確認を求めたのである。
すると該当する口座がない、と言うのだ。
多分郵便局で使用した番号と、ゆうちょ銀行になってからの講座番号が変わっているのではないか、窓口に出てきた支店長がそう言った。
ゆうちょ銀行の窓口で通帳を更新してもらえ、まだ開いているからと。
結局この日振込は出来なかった。



ゆうちょ3

ゆうちょ1



私は言われた通りにまだ開いているゆうちょ銀行に寄り、通帳を新しくしてもらった。
冒頭の画が古い通帳で、この二つが新通帳のものだ。
「記号」「番号」とも特に変わりなし。
違っていたのは支店名だったのだ。
「○九○」はまったくの出鱈目だ。
だから該当する先が見つからなかったのだ。

先ほど電話で問い合わせた「地方本部」に抗議した。
相手方はあっさり非を認めた。

郵便局は民営化したというが、不完全さが目に付く。
私は今日まで古い通帳を使っていた。
しかし民営化後も何度か窓口で通帳を使っているのだ。
不都合があるなら更新を促すチャンスはあった。
今回は特に急がない私的な資金移動だった。
だが振込出来なかったのは事実で、週末のことだから来週に持ち越しとなった。
これが急ぎの用件だったらどうなるのだ。

郵便物等の配達も古い。
不在通知一つ見ればわかる。
他社なら追跡番号を伝えれば済むところ、郵便局では追跡番号に加えて住所氏名・配達日時・保管期限・品種・配達員名さらには電話番号まで言わされイライラする。
何のための追跡番号なのか。
要するにお役所仕事から少しも進化していない。

今回のことだが、非正規雇用や終身雇用廃止の問題とも多分無関係ではないと思う。
この国のあちこちで似たような現象が起きている筈だ。
それがいつか取り返しのつかない大事故に結びつかぬよう祈る。
と言うよりもむしろ、それをコストとして織り込み済みなのか。










慟哭を忘れない

墓参り
No.35 2015.8.23





子供らが帰って来てサイクリングに出掛け、お盆に出来なかった墓参りにも行くことができた。
彼らの母親の墓だ。
心中本当の所など分かる筈もない。
多分、悲しいとか辛いとかを我らは乗り越え今ここに居る。
そうでなければ生きても来れなかった。
でも同時に二人が抱くこの場所への反感、居心地の悪さを父は理解しているつもりだ。
本当に申し訳なかった。








大人になった

nagasaki.jpg
No.36 2015.8.24




今回は主に妻の誕生日を祝うための帰宅だった。
誕生日には少し早いがそれぞれに予定もあり、スケジュールをこの日に合わせて帰って来たのだ。
二人の企画はシンプルなもので、自分たちで料理をし妻の母親も招待して振舞おうというものだった。
私には若干の不安もあった。
特にメインデッシュを息子が担当すると言うのであるから。
娘は伊達から料理器具を持参し自分で栽培したトマトを使ってスープなど作った。
公園で採取したという柿の葉を巻いた寿司も作った。
息子はサイクリングのあとひとっ風呂浴びるなり買い出しにでかけて行った。
そして手慣れた様子でアクアパッツァを作った。
私が心配したのは料理の味もさることながら、怪我や火傷をしやしないかということだ。
しかしそんなのは取越し苦労に過ぎず、二人の作業を見ていると彼らが料理に慣れているのがわかる。
手際が見事なのだ。
出された料理はどれも、当初覚悟した愛のエプロン的なものなどでなく、十分商品になり得るレベルに仕上がっていた。
アクアパッツァのスープを残しておき、翌日再利用しようと考えていたが、妻がこれでパスタをこさえ子供たちの昼食にしてしまったのでそれがちょっと残念。
きっと旨かっただろう。
尚、妻の母親みっちゃんがグラタンを用意してくれた。
彼女の料理は素人の域を超えたものでいつも驚かされる。
そんなこんなでウマーなバースディパーティとなった。
息子の手料理を初めてご馳走になり思う。
私の役割がやっと終わったと。





アクアパッツァ










カンパカフェ

忠類1
No.37 2015.8.25




襟裳岬から中札内へ向かう途中、ティータイムにしようと立ち寄る。
忠類村の辺りに昔ナウマン象が生息していた。
昔と言っても何万年も前の話で、日本列島がユーラシアと陸続きだった頃のことだ。
今も陸続きだったらどうなっていたか。
何とも言えないが中国語を話していた可能性は大いにある。




忠類2



シーニックとはSENIC、風光明媚のこと。
余談になるがルノー・セニックはSCENIC、ちょっとだけ綴りが違う。
シーニックカフェでは地域のお年寄りがボランティアで働く。
開いているのは夏の間だけだ。



シーニック



ボランティアには訳があり、保健所が営業を許可しないのだとか。
トイレがない、厨房に壁がない、土間はダメだとか因縁をつけられ、年寄りはキレた。
え~い小役人がウルサイわ!んならもうええ!
てな感じで今のスタイルでやっている。
従いまして飲み物のお代などはすべてカンパ。
カンパって言われてもなあ、いくら入れたらいいものか。
当方一人300円と見当をつけた。
「そんなにたくさん・・・」
おばちゃんに喜ばれた。
紙コップにセルフだ、払い過ぎたのか。



北海道一周 019



朝晩涼しくなってまいりました。











ここにあったのか

花畑2
No.38 2015.8.26





中札内村の宿の近くに偶然見つけた。
数億円の資金が投じられたという。
そのほとんどが借入金。
しかも上手くいかず、一時は危機的状況になったようだ。
起死回生、ピンチを救ったのが生キャラメルだった。
ツキがあったな。
そういう時大抵はダメなんだけど。



花畑1



現在花畑牧場ではラクレットチーズに力を入れているようだ。

ラクレットチーズを炙って溶かし、温野菜やクラッカーにかけて食べる。
大層美味い。
しかし理由が分からないのだが、最近作り手によらず食感が変わってしまった。
特に生乳不足で品薄になりだしてからの事だと思う。
滑らかさがなくなり、ザラついた食感になった。
あるいは風船ガムっぽいとでも言うか。
ここのは最近試していないから分からない。
少ししょっぱいので我家では他所のを買っていたからだ。
もう一度食べてみよう。

有名な生キャラメルを食べたことはない。
一生食べないかもしれない。



花畑3



敷地内にこんなものもある。
北野さんいつお描きになるのか。
忙しい方だ。
大したものだとは思った。
でもやや作風に一貫性がないな悪いけど。



花畑4



遠くを見つめるリャマ。
故郷アンデスを遠く離れ何を思う。
きいてみた。
飼育係の人が良くしてくれるので有難いと。
でも家に帰りたいと言っていた。










秋風 イチゴパフェ

チャリ3
No.39 2015.8.27





有明のテニスコートまでチャリで行こうと三日前から決めていた。
今シーズンあと何回チャンスがあるかわからない。
外へ出てみると寒いとまでは言わないものの、とても半袖短パンでチャリは無理だと思った。
慌てて戻り薄手のウォームアップを着込んだ。
道端にススキの穂が揺れている。
先週子供たちと走った日はあんなに暑かったのに。
暑ければ暑いで文句も言う。
けれども寒いよりずっといい。
台風とゴキブリさえ出なければ常夏で構わないくらいだ。
そうした意味では温暖化ウエルカム。
でもそう単純ではないのだろうなあ。
台風15号の影響だろうか、強い向い風で思うように進まない。
チャリは天候と地形と体力に大きく依存する乗り物だ。
全天候型で自力走行する自動車とは全然違う。
そこが逆に美点でもあるが、もう少しで遅刻するところだった。



チャリ5



テニスコートの少し先にイチゴ御殿がある。
生産農家が片手間にイチゴパフェを売り始めたらこれが当たった。
交通量の少ない所だ、わからないものである。
透明なプラスチックのカップにイチゴを数個盛りちょっとソフトクリームをのせるだけのシンプルさで600円。
利益率が高かろう。
食器を洗う必要すらない。
数年経ったら本格的に店舗を構え従業員を雇った。
休日になると入りきれない車が道路に並ぶようになり、駐車場を拡充し警備員を置いて交通整理を始めた。
イチゴパフェを通年販売するそうだ。
観光バスで中国人が押し寄せる日が来るかもしれない。
ただ、ここからは商才が問われるだろう。
イチゴパフェだけでは難しい。
現状維持という選択肢もある。
私ならそうする。
出来ればジャズ喫茶を併設したいけれど。








オーベルジュ

十勝6
No.40 2015.8.28





忠類村からさらに北上。
帯広の手前、中札内のオーベルジュに投宿した。

宿泊棟が深い森の中に点在する。
すべて3ベッドルームの一軒家だ。
立派なキッチンがあり多数の食器やグラスが用意されていた。
いつ何に使えばいいのか。


十勝7



六人家族でもオーケーな広さ。
バスルームにパウダールーム、トイレが二つ。
でもここには我々二人しかいない。



十勝5



居間に暖炉まで備わる。
希望すれば使えるが夏だしな。
やめとくか。


十勝4



レストラン棟だけ外壁の色が異なる。

夕食を6時に予約していた。
二階の個室が用意されていた。
のどが渇いていたのでとりあえず何か飲みたかった。
グラスのシャンパンはありますか?
係の女性にそう尋ねた。
「アルゼンチンのシャンパンならあります」
・・・気を取り直しワインリストを頼んだ。
シャンパンをグラスで、白のハーフと赤をフルボトルで、そんな風に考えていたが全てフルボトルしかない。
迷っていたら先ほどの女性が来て、
「シェフの私物ですがシャンパンのハーフを提供出来る」という。
見せてもらった。
アルゼンチンの、ではなく歴としたシャンパーニュだ。
それを頂くことにした。
量的に考えてフルボトルならあと一本が限界だろう。
赤にしよう。
私は奮発し5桁のジュヴレ・シャンベルタンを頼んだのである。
やがてテーブルに運ばれたブルゴーニュの赤、なんと既に抜栓されているではないか。
グラスがまたひどい。
百均で買ったかと思われる代物。
まったくワインと釣り合いが取れていない。
そもそも小さすぎて香りが立たない。
ドーンと音がした。
気分が沈んだ音だ。










釧路へ

中札内9
No.41 2015.8.29





翌朝森を散歩した。
札幌よりも数度気温が低い十勝の朝は、他の国へ来たかと思うほどにさわやかだ。
今後避暑地として人気が出るのではないか。
子供の頃札幌で30度を超える日などほとんどなかった。
今ではもう過ごしやすい夏とは言えなくなっている。



中札内8



森の奥で2台のEクラスが朽ち果てている。
何事かを象徴するように。



北海道一周 023



中札内から目指すは釧路だ。
この町に昔両親が住んでいた。
公務員だった父が転勤で赴任していたのだ。
私と弟はそれぞれ学生生活を送る本州方面から長期休暇を利用して釧路へ行った。
父が斡旋する沖仲仕のバイトで休みが過ぎていった。
過酷な港湾労働の割にバイト代は安く、日当5000円を超える事はない。
特に冬がきつかった。
氷点下20度を下回る日が珍しくない。
それでも我々兄弟は与えられた作業を几帳面に遂行した。
肉体労働が男を磨くとどこかで信じていたからだ。
それは完全に間違いだったが、この時のことがなければ私と弟がその後一緒に仕事をするようになる事もなかったと思う。

釧路はそれなりに繁栄し、歓楽街も賑わっていた。
あれから40年が過ぎ、現在この街は苦境に立たされている。
それは何も釧路に限った話ではなく、多くの地方都市から衰退の嘆きが聞こえてくる。
このままではいずれ第二第三の夕張が出てくるだろう。
だがそれを防ぐ手立てが見えない。



北海道一周 022















渡河作戦の罠

釧路3
No.42 2015.8.30





釧路に着いて早々、一騒動起きた。
早朝に記録的豪雨あり、その影響で港から海水が逆流し低地を覆っていたのだ。
そうとは(海水とは)知らず進行する。
やってみたかった。
さすがジープ、水をまき上げぐいぐい進む。
どんどん深くなった。
最深部で30~40センチ冠水しており、故障したセダンなんかが多数停車している。
ドライバーらは既に脱出したようだ。
この時の画像はない。
私は運転していたし、妻は動転していたからだ。

やっと渡りきった。
遅まきながら道路を封鎖し始めた管理者に海水と聞かされ、これはもうダメかもしれないと思った。
上陸作戦用の水陸両用車でもなければ、普通海水を被ったら車はアウトだ。
旅はここで終わりJRで帰る事になるのか。
それでも出来るだけのことはしようと、ガソリンスタンドを探し下部洗浄してもらった。
とりあえず当面車は動く。
ホテルにチェックインし、札幌の友人に電話でアドバイスを求めた。
曰く大丈夫だろう、どこかでエンコしたら助けに行くからこのまま旅を続けよとの事だった。

それしかないだろう。
出発の時万一に備え防寒着を積んで来て良かった。
だが山中で立ち往生したら、熊の餌になるのと札幌から救助隊が到着するのではどちらが先だろうな。
その点については何とも言えない気がした。
まあ、先のことはわからない。
でも次があれば金属バットか斧を積んでおこう。
本当ならライフルないしショットガンにしたいところだ。

荷物を部屋に置き探検に出かけた。
活気がないのが瞬時に伝わる。
幣舞橋に続く繁華街に人通りがほとんどない。



釧路4



廃墟と化したビル、元はパチンコ屋だろうか。
どこへ行ってもシャッター街が続く。
街が死にかけているように見えてくる。



釧路5



老舗ジャズ喫茶「ジスイズ」跡地。
やっと探しあてたがどう見ても定休日ではなかろう。
昨年有志により再開されたと聞いていたのだが。
無残。




釧路6



街をうろつき嗅覚と勘だけを頼りに、率直に言えばあてずっぽうに飛び込んだ店。
これがまぐれ当たりしたお陰で、釧路の夜が少しだけ救われた。
鰻だけではない割烹料理店だった。
ホッキのバター焼きが絶品だ。
私にとってホッキだけでなく貝の料理には必ず、どうしてもどこかで生臭い印象が付き纏っていた。
そういうものだと思っていたが、ここのは違う。
こんなに旨いホッキを生まれて初めて食った。
一人前800円。
最高だ。
もっと頼めばよかったと今になって後悔している。
ブルゴーニュの安旨白あり。
ホッキのバター焼きと相性抜群だ。
鰻は普通。











シカも人も注意

霧1
No.43 2015.8.31





霧の釧路は恋の街、だそうだ。
翌朝ホテルから見える景色が濃い霧に覆われていた。
これは釧路だけでなく、この後の根室や紋別、稚内など道東・道北の夏全般に霧が発生しやすいようだ。
札幌ではほとんど使用しないフォグランプを運転中多用する事になる。
ただしフォグランプの点灯で視界が開けるわけではなく、単に対向車へ自分の存在をアピールするだけだから、走り辛いことに変わりはない。


霧2



しかし一時間もすればこのとおり晴れた。
よし、根室へ向かって出発だ。




鹿1



釧路、根室間は鹿と車の衝突が多いらしい。
100mおきに「鹿注意」と直に道路に書かれている。



鹿2



その割に一度も見なかったが、エゾシカが増えすぎて各地で大問題になっているのは事実だ。
鹿は食えば旨いし革も上質である。
だからもっと活用したら良い。
だがハンターが足りないのだ。
おまけに高齢化しておりとても危ない。
獲物と間違えて仲間の爺ハンターを爺が撃ってしまうという、ブラックジョークのような事が本当に起きる。
鹿や熊を撃つのはライフル銃であるが、その弾丸は戦争で使用される貫通性・直進性の高い弾、つまり不要に苦痛を与えず戦闘力だけ奪うようハーグ陸戦条約で規定されたフルメタルジャケット弾ではない。
殺傷力が高く当たれば獲物の体内をジグザグに通過し、内臓ズタズタほぼ致命傷となる。
人間ならまず助からない。

爺ハンターはまずい。
そこで思うのだが、演習を兼ね自衛隊がやれば良いのではないか。
ヘリで追い出す役に限定する態度はいかがなものか。
恐らくは事故が起きた際の批判を危惧しているのだろうが、それならば退官後の元自衛官を使う手もある。
自衛官は50代で退役する。
優れた狙撃兵も例外ではないのだ。
ところが泣く子も黙るスナイパーを、銀行の守衛さんとして飼い殺しにしているのが現状だ。
彼らを活用しない手はないと思う。
個人差があるかもしれないが軍人としては限界でも、ディアハンターならその後10年はいけるだろう。



鶴1



鹿の代わりにタンチョウ鶴出現。
なぜかドラクエを思い出し笑った。










北方領土

水晶島
No.44 2015.9.1





根室を素通りし納沙布岬へ向かう。
ここが北海道最東端だ。
水平線に歯舞群島の水晶島が見える。
わずか7キロ先である。

根室市内のいたるところに「返せ北方領土」と書かれているがしかしなかなか返って来ない。
「返してください」とお願いしても同じことだろう。
戦争で盗られた領土を取り返すのは大変だ。
普通なら再び戦争に勝つか、経済的対価を払うかの二択だ。
タダで返って来る筈がないのだ。
返せ!といくら叫んでも、返してくださいと懇願しても返って来ない。

後日行く稚内に「返せ南樺太」の標語を見なかった。
この温度差が不思議だった。
南樺太だって正当な日本の領土だったのだから。
実は日本政府のスタンスに差がある。
現在政府は南樺太の返還を求めていない。
サンフランシスコ条約で放棄させられているからだ。
しかし、実はこの時日本は千島列島も放棄している。
にも関わらず、当時のソ連が同条約を批准しておらず、この問題が宙ぶらりん状態となったのをいい事に、四島は同条約で放棄した領土に含まれないとして政府は一括返還を主張してきたのだ。
はっきり言って結構筋の良くない話なのである。

どうせ簡単に返って来ないなら、ついでに南樺太も千島列島も全部返せと言っておいたらどうかと思う。
日露は昔、南樺太と択捉以北の北千島(南千島は最初から日本領)を交換し、平和裏に千島全島が日本の領土となった。
その後日露戦争の結果、ポーツマス条約で南樺太が再び日本に転がり込んで来た経緯だ。
南樺太と千島全島を返せと言う根拠があると言えばあるのだ。
ダメ元で大きく出、最後の落としどころを四島にする。
最初から「四島返せ」は交渉の仕方を間違っている。



馬



原生花園があちこちにある。
これは納沙布岬から北回りで根室へ戻る途中にあった。
放し飼いの馬に、動物嫌いの妻びびる。
木製の回廊が馬の糞で足の踏み場もない。












サテンドール

根室駅
No.45 2015.9.2





場末感濃厚なJR根室駅。
何しろこの先はもう何もないという行き止まりの町だ。
若者が都会に出たくなるのも無理はない。
この街で職を得て生きていくのがどれほど大変か、おそらく私など半分も理解していないだろう。
公務員と銀行員以外の者に、ここに留まらなければならない理由がそう有るものでもなかろうと、勝手に想像しているだけだ。
でもそんなに外れていない気がする。

勝手ついでに言わせてもらえば、良く晴れた晩夏に立つならこの場所だと思った。
哀愁それは夏の終わりである。
けして秋ではない。
人生で言えば30代後半。
まだ何もかもが自由になるけれど、それがいつまでも続かないのに気付き始める頃。
強いが少し弱くなり始めた日差しを受けふと思い出した。



サテンドール1



人通りがほとんどない駅前にジャズ喫茶がある。
失礼ながら、意外なほど上品なご夫婦が二人でやっておられた。
ビールを注文し、暫しジャズに浸る。
根室でジャズ喫茶に巡り合えるとは思っていなかった。
どこで聴いてもジャズはジャズ、やっぱりいいな。
あと少しでいいからボリュームを上げてくれたら他に言う事はない。

地方都市には結構喫茶店が生き残っている。
スタバ的なものが進出していないからだ。
不倫はどうか知らないけれど、喫茶店は文化である。
アレらは文化を食い荒らすオニヒトデのようなものだ。
かつて札幌にもいい喫茶店がたくさんあったがほとんどやられた。
そして街角に喫茶店のある風景が、偶然かつ皮肉にも若者が見捨てた地方都市に残った。



サテンドール2



気をそそる細長い煙草。
肩超しに俺を誘うように見る。
あの娘は遊び上手なサテンドール♪













雨のテニスコート

有明雨1
No.46 2015.9.3





比較的雨に強いクレーコートでも、大雨警報が出るほど降ればダメ。
本日あえなく中止となった。
それでインドアのレッスンに行った。
男だけのクラスで私以外は皆40歳以下だ。
こういった連中を相手にする時、コートは球足が遅い方がいいのか、早い方がいいのか。
今日の場合はカーペットコートで極めて遅い。
かなり押され気味だったが、全部コートのせいにも出来まい。

錦織圭が一回戦で敗退した全米オープンはハードコートだ。
一般に早い。
こちらは僅かでも降れば滑って危ないのでプレー出来ないし、足腰にきつく年配者が敬遠するせいだろうか日本では数が減った。
代わりに増えたオムニコートは遅いと言うより球を殺す。
オーストラリア発祥と言われている。
オムニコートは才能の差も殺してしまうため、オーストラリアで良い選手が育たなくなり姿を消したそうだ。
日本ではお構いなく増殖し、圧倒的な比率となった。
維持管理が楽で最も雨に強いからだろう。
雨の多い日本で大会運営上主催者側として一番好ましいのがオムニコートだ。
錦織圭に最も向いていないのは多分これだろう。
現在グランドスラムは言うに及ばず、ATPの大会で採用されていない。
アマチュアにとってプレーする機会が一番多いけれど、個人的に特別好きではない。

かつて札幌にもグラス(芝)コートがあり、一度だけプレーしたことがある。
早いのなんの、そして弾まない。
運用上も金が掛かって大変だろう。
だからほとんど見かける事もない。
でも最もテニスというスポーツを象徴するのがグラスコートだと思う。
スポーツと言うよりも貴族の娯楽と言うのが本来の姿だからだ。
還暦を過ぎ恐いものもなくなった私は率直に言うが、そんなテニスの側面が好きだ。
低能で下品な(つまり有能でなくとも有能な、上品でなくとも上品なフリをできない)者は他のことをしたらいい。
テニスはやせ我慢なんだ。










No.26SL

26sl2.jpg
No.47 2015.9.4





20年近く探し続けたプリアンプが今手元にある。
史上屈指の名アンプと言われたマークレビンソンNo.26SLだ。
探し続けたが見つからず、15年ほど前にNo.26Lを購入した。
その後も機会があれば26SLに買い替えたかったが、チャンスがないまま今に至っている。
「SL」と「L」の違いだけで外観も同じ回路も同じだ。
上が「26L」下が「26SL」である。
どこが違うかと言えば、基板の素材がテフロンに変えられただけなのだ。
人によっては26Lの方がジャズ向きとの意見もあり、まあこれでいいかとほぼ添い遂げる覚悟だった。



26sl3.jpg



ところが販売店から連絡があり、手に入るかもしれないという。
6月の事だった。
それから三か月何の音沙汰もなく、これはダメなんだなと落胆半分、安堵半分でいた先週になって二度目の連絡がきた。
胸が騒いだ。
どうしよう?いっそ断るか?
いや、憧れ続けた26SL、それも最後期のRCAタイプでバランス回路まで付いているという。
ラストチャンスじゃないのか?
聴くだけ聴いてみよう。
26Lと聴き比べてたいして変わらないとか、26Lが好みだとかならその時は断ればいいじゃないか。



26sl1.jpg



下の26SLが一般的なRCA端子、上の26Lはレモ端子だ。
26SLも当初レモ端子で発売されたが、最終バージョンでRCAとなった。
レモ端子とは医療機器や計測機器に使われる精密な接続端子である。
当時のRCA端子の品質が悪く、疑問を持ったレビンソン氏が自社の製品に採用したのがレモ端子だった。
しかし特殊なのは事実で汎用性がなく、私の知る限りマークレビンソン以外のアンプに使用された例を知らない。
本当にレモ端子の優位性というのが何かあるのか、音質にどれほどの影響があるのか、その点の個人的な評価が不明なままだ。
不明ではあるけれども、特殊なレモ端子をわざわざ使うほどの効果があるとは思えなくなってきた。
レモ端子のせいでRCAとの変換アダプターが必要になり、当時それが一組何万もした。
しかし実はそんなところにも、あの頃私は魅力を感じていたのだ。
特別な存在、そんな気にさせるレモ端子だった。

三日ほど聴き分かった。
26Lと26SLは全然別のアンプだ。
明らかに音が違う。
それは多分端子の違いによるものではない。
基板の素材が異なるだけと説明されてきたが、ボリュームをはじめ各スイッチの操作感がだいぶ異なる。
パーツの見直しが様々行われているようだ。
悩ましい事になった。














PS 02

北海道一周 037
No.48 2015.9.5





人影まばらな納沙布岬灯台。
恋に疲れた女がひとり。
青い海空白い雲。
耳をすませば潮騒の響。
気分はすっかり演歌調。



北海道一周 031



国境の海。
高速で沖を行く海保の巡視船。
艦影から第一管区配備の小型巡視船「さろま(PS 02) ・・・一応念のためプレステ2ではございません」だと思われる。
船腹に「JAPAN COAST GUARD(沿岸警備隊)」の文字が見える。
水晶島をバックに収めたが、残念ながら極めて不鮮明だ。

PS(Patrol Vessel Small  Vesselは船 )型は1985年の「日向灘不審船事件」の教訓を踏まえ建造された。
日向灘では不審船を発見し追跡するも逃げられている。
当時の海保に時速60キロもの高速で遁走する(北朝鮮の工作船と思われる)不審船を補足出来る艦がなかったのだ。
2001年12月の「九州南西海域工作船事件(後半部参照)」では、PS型の活躍(「いなさ」PS 03 ・・・一応念のため、え、もういいって?・・・及び「きりしま」PS 04)で工作船を自沈に追い込んでいる。
「さろま」はPS型二番艦として1988年に竣工、船首にRFS(目標追尾遠隔操縦機能)20ミリ機関砲を搭載し、操舵室に防弾ガラスを装備する歴とした戦闘艦である。
しかしながら高速を出すべく軽合金を使用し軽量化された船体は脆弱であり、もしも尖閣で起きた中国漁船による体当たり事件等に遭遇すればもたないだろう。
彼らは刺し違える覚悟で日本の海を守っている。



nemuro2.jpg



根室の宿。
あまり印象に残っていない。
そういえば蟹を食ったな。
今では大部分がロシアからの輸入に頼っているという。
ロシアと言っても目と鼻の先でとれたものだ。
万一北方領土が返ってきたらどうなるか。
おそらくあっと言う間に食い尽くしてしまうのだろう。













知床へ

nemuro1.jpg
No.49 2015.9.6





翌朝の根室。
ウミネコに起こされる。
6時。
薄暗い。


北海道一周 038



思わず目を擦る。
前日の青空から一転、濃い霧に町が霞んでいた。
こんな霧の朝を生まれてこの方見た事がない。
運転大丈夫かと少し不安になる。
しかし思い返せば、もっと酷い吹雪のドライブが何度もあった。
安全を確認しつつ、ゆっくり行こう。
根室を出発し知床へ向かう。



notuke1.jpg



途中、野付半島にて。
ナラワラのあたりだろうか。
やはり霧で判然としない。
野付半島は巨大な砂嘴で、左右にすぐ海が迫っている筈なのだが、それすらも良く見えない。
行き止まりまで行き、ただ引き返す。
少し残念だ。
仕方ないな、この天候だもの。

景色もへったくれもないこんな日は、車載の音楽が頼りだ。
パイオニア製のオーディオが良く出来ていて、ハードディスクに落とした約100枚の自作ベスト盤を更にランダム演奏する。
何が出るかわからない。
これがまた違った新鮮さがあり楽しめるのだ。
ゆるゆると車は走る。
次第に霧も晴れてきた。
どうやら知床半島に入ったようだ。
このまま天候が回復すれば、対岸の国後島が見える筈だ。










国後島が見えた

北海道一周 043
No.50 2015.9.7





やがて知床半島の東側拠点羅臼に着いた。
低く垂れ込めた雲がこの時一瞬切れ間を見せ、国後がその姿を覗かせた。
「知床旅情」そのままだ。
国後が見えなくては知床の価値が半減するところだった。
それにしても、こんなにも近かったんだな。
暫し釘付けとなる。
だが、ものの30分で再び島は雲に覆われてしまい、二度と雄姿を見せる事はなかった。



相泊1



さらに先へ、行ける所まで行ってみた。
知床半島東側の行き止まり相泊。
非常にシンプルで分かりやすい警告だ。



相泊2



タテカンでも思い切り脅かす。
行けるもんなら行ってみろ。
そんな感じでしょうか。



相泊3



確かに道はない。
ここから先、岬へは道なき道を徒歩か、あるいは船で行く事になる。
普通の人は行かないだろう。
我々は普通の人なのでここで引き返す事にした。
羅臼へ戻り、そこから知床横断道路で峠を越えて西海岸のウトロへ向かう。
時間があれば知床五湖へも行ってみようと思う。








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