北方領土

水晶島
No.44 2015.9.1





根室を素通りし納沙布岬へ向かう。
ここが北海道最東端だ。
水平線に歯舞群島の水晶島が見える。
わずか7キロ先である。

根室市内のいたるところに「返せ北方領土」と書かれているがしかしなかなか返って来ない。
「返してください」とお願いしても同じことだろう。
戦争で盗られた領土を取り返すのは大変だ。
普通なら再び戦争に勝つか、経済的対価を払うかの二択だ。
タダで返って来る筈がないのだ。
返せ!といくら叫んでも、返してくださいと懇願しても返って来ない。

後日行く稚内に「返せ南樺太」の標語を見なかった。
この温度差が不思議だった。
南樺太だって正当な日本の領土だったのだから。
実は日本政府のスタンスに差がある。
現在政府は南樺太の返還を求めていない。
サンフランシスコ条約で放棄させられているからだ。
しかし、実はこの時日本は千島列島も放棄している。
にも関わらず、当時のソ連が同条約を批准しておらず、この問題が宙ぶらりん状態となったのをいい事に、四島は同条約で放棄した領土に含まれないとして政府は一括返還を主張してきたのだ。
はっきり言って結構筋の良くない話なのである。

どうせ簡単に返って来ないなら、ついでに南樺太も千島列島も全部返せと言っておいたらどうかと思う。
日露は昔、南樺太と択捉以北の北千島(南千島は最初から日本領)を交換し、平和裏に千島全島が日本の領土となった。
その後日露戦争の結果、ポーツマス条約で南樺太が再び日本に転がり込んで来た経緯だ。
南樺太と千島全島を返せと言う根拠があると言えばあるのだ。
ダメ元で大きく出、最後の落としどころを四島にする。
最初から「四島返せ」は交渉の仕方を間違っている。



馬



原生花園があちこちにある。
これは納沙布岬から北回りで根室へ戻る途中にあった。
放し飼いの馬に、動物嫌いの妻びびる。
木製の回廊が馬の糞で足の踏み場もない。












サテンドール

根室駅
No.45 2015.9.2





場末感濃厚なJR根室駅。
何しろこの先はもう何もないという行き止まりの町だ。
若者が都会に出たくなるのも無理はない。
この街で職を得て生きていくのがどれほど大変か、おそらく私など半分も理解していないだろう。
公務員と銀行員以外の者に、ここに留まらなければならない理由がそう有るものでもなかろうと、勝手に想像しているだけだ。
でもそんなに外れていない気がする。

勝手ついでに言わせてもらえば、良く晴れた晩夏に立つならこの場所だと思った。
哀愁それは夏の終わりである。
けして秋ではない。
人生で言えば30代後半。
まだ何もかもが自由になるけれど、それがいつまでも続かないのに気付き始める頃。
強いが少し弱くなり始めた日差しを受けふと思い出した。



サテンドール1



人通りがほとんどない駅前にジャズ喫茶がある。
失礼ながら、意外なほど上品なご夫婦が二人でやっておられた。
ビールを注文し、暫しジャズに浸る。
根室でジャズ喫茶に巡り合えるとは思っていなかった。
どこで聴いてもジャズはジャズ、やっぱりいいな。
あと少しでいいからボリュームを上げてくれたら他に言う事はない。

地方都市には結構喫茶店が生き残っている。
スタバ的なものが進出していないからだ。
不倫はどうか知らないけれど、喫茶店は文化である。
アレらは文化を食い荒らすオニヒトデのようなものだ。
かつて札幌にもいい喫茶店がたくさんあったがほとんどやられた。
そして街角に喫茶店のある風景が、偶然かつ皮肉にも若者が見捨てた地方都市に残った。



サテンドール2



気をそそる細長い煙草。
肩超しに俺を誘うように見る。
あの娘は遊び上手なサテンドール♪













雨のテニスコート

有明雨1
No.46 2015.9.3





比較的雨に強いクレーコートでも、大雨警報が出るほど降ればダメ。
本日あえなく中止となった。
それでインドアのレッスンに行った。
男だけのクラスで私以外は皆40歳以下だ。
こういった連中を相手にする時、コートは球足が遅い方がいいのか、早い方がいいのか。
今日の場合はカーペットコートで極めて遅い。
かなり押され気味だったが、全部コートのせいにも出来まい。

錦織圭が一回戦で敗退した全米オープンはハードコートだ。
一般に早い。
こちらは僅かでも降れば滑って危ないのでプレー出来ないし、足腰にきつく年配者が敬遠するせいだろうか日本では数が減った。
代わりに増えたオムニコートは遅いと言うより球を殺す。
オーストラリア発祥と言われている。
オムニコートは才能の差も殺してしまうため、オーストラリアで良い選手が育たなくなり姿を消したそうだ。
日本ではお構いなく増殖し、圧倒的な比率となった。
維持管理が楽で最も雨に強いからだろう。
雨の多い日本で大会運営上主催者側として一番好ましいのがオムニコートだ。
錦織圭に最も向いていないのは多分これだろう。
現在グランドスラムは言うに及ばず、ATPの大会で採用されていない。
アマチュアにとってプレーする機会が一番多いけれど、個人的に特別好きではない。

かつて札幌にもグラス(芝)コートがあり、一度だけプレーしたことがある。
早いのなんの、そして弾まない。
運用上も金が掛かって大変だろう。
だからほとんど見かける事もない。
でも最もテニスというスポーツを象徴するのがグラスコートだと思う。
スポーツと言うよりも貴族の娯楽と言うのが本来の姿だからだ。
還暦を過ぎ恐いものもなくなった私は率直に言うが、そんなテニスの側面が好きだ。
低能で下品な(つまり有能でなくとも有能な、上品でなくとも上品なフリをできない)者は他のことをしたらいい。
テニスはやせ我慢なんだ。










No.26SL

26sl2.jpg
No.47 2015.9.4





20年近く探し続けたプリアンプが今手元にある。
史上屈指の名アンプと言われたマークレビンソンNo.26SLだ。
探し続けたが見つからず、15年ほど前にNo.26Lを購入した。
その後も機会があれば26SLに買い替えたかったが、チャンスがないまま今に至っている。
「SL」と「L」の違いだけで外観も同じ回路も同じだ。
上が「26L」下が「26SL」である。
どこが違うかと言えば、基板の素材がテフロンに変えられただけなのだ。
人によっては26Lの方がジャズ向きとの意見もあり、まあこれでいいかとほぼ添い遂げる覚悟だった。



26sl3.jpg



ところが販売店から連絡があり、手に入るかもしれないという。
6月の事だった。
それから三か月何の音沙汰もなく、これはダメなんだなと落胆半分、安堵半分でいた先週になって二度目の連絡がきた。
胸が騒いだ。
どうしよう?いっそ断るか?
いや、憧れ続けた26SL、それも最後期のRCAタイプでバランス回路まで付いているという。
ラストチャンスじゃないのか?
聴くだけ聴いてみよう。
26Lと聴き比べてたいして変わらないとか、26Lが好みだとかならその時は断ればいいじゃないか。



26sl1.jpg



下の26SLが一般的なRCA端子、上の26Lはレモ端子だ。
26SLも当初レモ端子で発売されたが、最終バージョンでRCAとなった。
レモ端子とは医療機器や計測機器に使われる精密な接続端子である。
当時のRCA端子の品質が悪く、疑問を持ったレビンソン氏が自社の製品に採用したのがレモ端子だった。
しかし特殊なのは事実で汎用性がなく、私の知る限りマークレビンソン以外のアンプに使用された例を知らない。
本当にレモ端子の優位性というのが何かあるのか、音質にどれほどの影響があるのか、その点の個人的な評価が不明なままだ。
不明ではあるけれども、特殊なレモ端子をわざわざ使うほどの効果があるとは思えなくなってきた。
レモ端子のせいでRCAとの変換アダプターが必要になり、当時それが一組何万もした。
しかし実はそんなところにも、あの頃私は魅力を感じていたのだ。
特別な存在、そんな気にさせるレモ端子だった。

三日ほど聴き分かった。
26Lと26SLは全然別のアンプだ。
明らかに音が違う。
それは多分端子の違いによるものではない。
基板の素材が異なるだけと説明されてきたが、ボリュームをはじめ各スイッチの操作感がだいぶ異なる。
パーツの見直しが様々行われているようだ。
悩ましい事になった。














PS 02

北海道一周 037
No.48 2015.9.5





人影まばらな納沙布岬灯台。
恋に疲れた女がひとり。
青い海空白い雲。
耳をすませば潮騒の響。
気分はすっかり演歌調。



北海道一周 031



国境の海。
高速で沖を行く海保の巡視船。
艦影から第一管区配備の小型巡視船「さろま(PS 02) ・・・一応念のためプレステ2ではございません」だと思われる。
船腹に「JAPAN COAST GUARD(沿岸警備隊)」の文字が見える。
水晶島をバックに収めたが、残念ながら極めて不鮮明だ。

PS(Patrol Vessel Small  Vesselは船 )型は1985年の「日向灘不審船事件」の教訓を踏まえ建造された。
日向灘では不審船を発見し追跡するも逃げられている。
当時の海保に時速60キロもの高速で遁走する(北朝鮮の工作船と思われる)不審船を補足出来る艦がなかったのだ。
2001年12月の「九州南西海域工作船事件(後半部参照)」では、PS型の活躍(「いなさ」PS 03 ・・・一応念のため、え、もういいって?・・・及び「きりしま」PS 04)で工作船を自沈に追い込んでいる。
「さろま」はPS型二番艦として1988年に竣工、船首にRFS(目標追尾遠隔操縦機能)20ミリ機関砲を搭載し、操舵室に防弾ガラスを装備する歴とした戦闘艦である。
しかしながら高速を出すべく軽合金を使用し軽量化された船体は脆弱であり、もしも尖閣で起きた中国漁船による体当たり事件等に遭遇すればもたないだろう。
彼らは刺し違える覚悟で日本の海を守っている。



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根室の宿。
あまり印象に残っていない。
そういえば蟹を食ったな。
今では大部分がロシアからの輸入に頼っているという。
ロシアと言っても目と鼻の先でとれたものだ。
万一北方領土が返ってきたらどうなるか。
おそらくあっと言う間に食い尽くしてしまうのだろう。













知床へ

nemuro1.jpg
No.49 2015.9.6





翌朝の根室。
ウミネコに起こされる。
6時。
薄暗い。


北海道一周 038



思わず目を擦る。
前日の青空から一転、濃い霧に町が霞んでいた。
こんな霧の朝を生まれてこの方見た事がない。
運転大丈夫かと少し不安になる。
しかし思い返せば、もっと酷い吹雪のドライブが何度もあった。
安全を確認しつつ、ゆっくり行こう。
根室を出発し知床へ向かう。



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途中、野付半島にて。
ナラワラのあたりだろうか。
やはり霧で判然としない。
野付半島は巨大な砂嘴で、左右にすぐ海が迫っている筈なのだが、それすらも良く見えない。
行き止まりまで行き、ただ引き返す。
少し残念だ。
仕方ないな、この天候だもの。

景色もへったくれもないこんな日は、車載の音楽が頼りだ。
パイオニア製のオーディオが良く出来ていて、ハードディスクに落とした約100枚の自作ベスト盤を更にランダム演奏する。
何が出るかわからない。
これがまた違った新鮮さがあり楽しめるのだ。
ゆるゆると車は走る。
次第に霧も晴れてきた。
どうやら知床半島に入ったようだ。
このまま天候が回復すれば、対岸の国後島が見える筈だ。










国後島が見えた

北海道一周 043
No.50 2015.9.7





やがて知床半島の東側拠点羅臼に着いた。
低く垂れ込めた雲がこの時一瞬切れ間を見せ、国後がその姿を覗かせた。
「知床旅情」そのままだ。
国後が見えなくては知床の価値が半減するところだった。
それにしても、こんなにも近かったんだな。
暫し釘付けとなる。
だが、ものの30分で再び島は雲に覆われてしまい、二度と雄姿を見せる事はなかった。



相泊1



さらに先へ、行ける所まで行ってみた。
知床半島東側の行き止まり相泊。
非常にシンプルで分かりやすい警告だ。



相泊2



タテカンでも思い切り脅かす。
行けるもんなら行ってみろ。
そんな感じでしょうか。



相泊3



確かに道はない。
ここから先、岬へは道なき道を徒歩か、あるいは船で行く事になる。
普通の人は行かないだろう。
我々は普通の人なのでここで引き返す事にした。
羅臼へ戻り、そこから知床横断道路で峠を越えて西海岸のウトロへ向かう。
時間があれば知床五湖へも行ってみようと思う。








知床五湖

羅臼岳
No.51 2015.9.8





峠付近で羅臼岳を間近に見ながら、知床横断道路を行く。
この旅を計画していた頃、北の道ナビというサイトで目的地間の距離と予想所要時間を調べながら宿泊地点を選んだのだが、起点「羅臼」終点「ウトロ」としてもとんでもない遠回りを表示するのだった。
何度かトライした後やっと、このルートはまだ冬期閉鎖中なんだという事に気付き妙に感心したものだ。



レクチャー



ウトロから知床五湖へ向かう。
ハイシーズンに車ではこの先のカムイワッカへ進めない。
知床の自然環境を維持するためだ。
これは理解できる。
カムイワッカへのアクセスはシャトルバスになるが我々は時間の制約により断念、今回の到達点を知床五湖までとした。

満車のため待機の車列が出来ている。
ここまで来たら並んで待つしかない。
待つこと約30分。
車をとめフィールドハウスへ。
遊歩道に入る前に必須のレクチャーを受ける。
昔来たことがあるという妻によれば、40年前にそんなものはなかったという。
世界遺産登録後の措置だろうか。
注意点として言われたのは、熊に餌をやるな、熊が出たら落ち着いて戻って来い、襲われても慌てるな、最後は死んだフリをしろ。
しかしすべて100%保証できるものではないと、そんなところだろう。
そうそう、何より出会わないのが一番、道中陽気に歌って行きなさいとも言っていた。
どうも出るのが普通な気がしてくる。



知床五湖へ



前を行く内心ドキドキの妻。
見ず知らずのおじさんを必死でおいかける。



知床五湖1



どこかで見たな、と思った。
そうだ7月に娘と行った大沼に似ている。
大沼は国定公園で北海道が管理している。
知床は国立公園であり世界自然遺産でもある。
環境省の管轄下運営されている筈だ。
想像するところ、予算が随分と違ってくるのだろうな。









熊出現せず

知床6
No.52 2015.9.9





良く整備され保存される知床国立公園。
世界遺産となった事で予算が付きそれまで出来ずにいた事が可能になったのなら、それはそれで良かったのではないか。
しかし予算分捕り合戦での省益確保省勢拡大を目指す結果、世界遺産がどんどん増えれば金がかかって大変な事にもなる。
どこかで線を引き締め切る必要がある。
そうでないと世界遺産だらけになり価値も半減だ。


知床2



対岸の水辺に熊がいたらよかった。
出るぞ出るぞと散々脅かされたが、やはりそう簡単なものではないようだ。
怖いもの見たさで少し期待した。
でも急に至近距離に出たらパニック起こすだろう。
ちょっとガッカリし安心する。
熊の餌になるのはマッピラだ。
昔読んだ開高健の「ロビンソンの末裔」を思い出した。
開拓時代、そこら中にいる熊にやられる話だった。
甘く見てはいけません。



知床9



手付かずの自然とはこういった風景を言うのだろう。
才能ゼロの私がガラケーのカメラでいい加減に撮ってもそこそこ絵になってしまう。
素材って大事だ。



知床10



知床五湖を後にし、宿泊地ウトロに戻る。
この日の宿も三点を除きあまり記憶に残らない。
一つは「ノーブルホテル」というたいそうな名前。
一つは少し離れた駐車場に自分で車を移動し徒歩で戻ったこと。
ラングラーを見た係の人が手に負えないから頼むと。
乗れば案外普通の車なんだが、下手に触ると機銃弾が飛び出しそうに見えなくもないか。
そして夕食がバイキングだった事、以上だ。



知床11



着替え中を盗撮中の家庭内ストーカー。













頂きものあり

逆光1
No.53 2015.9.10





知床から更にオホーツクの海岸線を北上しようとしていた頃、釧路にて救難信号を届けた友人夫婦が三週間後の道北旅行に向けて着々と準備を進めていた。
その方角必ずしも完全に相違しない。
しかし彼らはキャンパーなので今回は双曲線を描き交わる事がなかった。
チッチとサリーが50代になったら・・・という風情の二人には家族同然のパグがおり、小さな二匹の面倒もみながらのオートキャンプである。
傍で見ている分には楽しそうだが、実際やれば相当大変なのだろう。
なにぶんにもやった事がなく想像もつかない世界だ。
いつかご一緒してみたいと思っている。



剣淵



50代になったチッチとサリーが辿ったルートは主に内陸のコースだ。
我々が立ち寄らなかった町がほとんどである。
実際北海道は広い。
一周したと言ってもサラッと外周を回っただけで、聞いたこともない場所がまだたくさんある。
それらの町に今後行くチャンスがあるかどうか、未定だが怪しくもある。
チッチのブログを見ていると、少しだけ行ったような気分になれる。
だからこれからもあちこち行ってもらえると有難い。
音威子府の蕎麦、それに剣淵のスモークチキンをありがとう。
上海蟹も楽しみにしています。











鬼怒川氾濫

鬼怒川
No.54 2015.9.11





茨城県で鬼怒川の堤防が決壊した。
何たる脆弱なインフラかとの非難は容易い。
実際それは事実だと思う。
しかしこのところ「50年に一度」や「経験したことのない」気象現象によって、気象庁が出す特別警報をしばしば目にするようになった現実が一方である。
かつて整備された日本のインフラは、今日の気象レベルを想定していないものだ。

夏の道東・道北は気温が上がらず、ストーブに火を入れる日があると聞いていた。
しかし今年行ったそれらの地は札幌ほどでないにしろ十分に暑かった。
それが温暖化に起因するのか、素人に分かる話ではない。

だが現実にこの国のインフラは、残念ながら現在の気象現象に耐えられなくなっている。
今すぐそれを改修するのが不可能である以上、臆病なほどに注意深く状況を注視して行動する事くらいしか我々に出来る事はなさそうだ。

今朝はこの大雨が東北・北海道に移って来ている。
他人事のように呑気なお見舞いを口にしている場合ではないのだ。
口先だけの薄っぺらな決まり文句を軽々に言うべきでないという人もいた。
だがそうではないだろう。
我々日本人のメンタリティはそのように培われてきたのだ。

全ての被災者の方々が一日も早く元の生活を取り戻せるよう祈ってやまない。
そして不幸にして亡くなられた方のご冥福をお祈りします。








夕やけ

夕やけ
No.55 2015.9.12





どれほど雨が降るのか心配した。
北上する筈だった線状降雨帯が札幌に掛かる事はなく、この日未明より遂に一滴も雨が降らなかったのである。
しかし同じ頃、道東では結構激しい天候になっているようだ。
報道される町の名が実際に行ったことのある場所である時とそうでない時では、受ける衝撃度に大きな差があると思った。
今回北海道を車で周ったことで、今まで考えられなかったほどに多くの町が身近な存在になっていた。
あの日滞在したあの町が、今あんな事になっている。
そしてこの極端な地域差が恐い気がした。
降雨がまるで竜巻かなにかのようだ。
次は札幌が「今まで経験したことがないような」集中豪雨になるかもしれない。
その「次」がいつなのか誰にも分からないのである。
来週かもしれず、来月なのかもしれない。

今読んでいる本がある。
全然進まずやっと残り三分の一という所まで来ている。
「生命の惑星」という正直なところやめておけば良かった類の本だ。
ある雑誌に紹介され、「文科系の者にも分かりやすい」との評に騙されつい買ったが嘘だ。
税別6200円もし、目方を量ると(最大計量値が1000グラムのTANITA製キッチン計の)表示が「EEEE」だ。
本来なら二冊以上に分けて出版すべきだが、二冊目以降の売れ行きを考慮し筋トレも兼ねた作りとなっている。
そのクソ分かり難い学術書のような本によれば、地球の歴史上生命のほとんどが大量絶滅したことが何度もあった。
ある時は火山の噴火であり、天体の衝突であり、大気の組成変化が原因であったが、最新の大量絶滅は人類の活動によってもたらされるのかもしれないと淡々と書かれていた。
非常に客観的な「理科系」の書物だけに、そのリアリティに計り知れない不気味さを伴っている。









ジャズ喫茶 デリカップ

北浜
No.56 2015.9.13





知床のウトロからオホーツクの海沿いを通るR334(通称知床国道)を行く。
快調なペースだ。
天気も良く交通量の少ない道を気持ちよく紋別へ向かう。
途中網走の四つ手前の北浜駅に立ち寄ることにした。
今は無人駅となっているが、駅舎を喫茶店として営業していると聞いた。
丁度営業が始まる10時を過ぎる頃だ。
北浜駅は多くの映画やドラマのロケ地となった。
最近では中国映画で有名になり、中国人観光客が大勢来るそうだ。

しかしどうも話が違い営業開始は11時らしい。
そのせいか観光客の姿もなく北浜駅はポツンと静かだった。
コーヒーブレイクは別の店にしよう。



北浜3



北浜駅から網走方向を見る。
駅のすぐ裏がオホーツク海の波打ち際だ。
儚さという点で夏のオホーツクに勝る海はない。
詩情そして旅情溢れる北浜よ。
化天の内を比ぶればトロピカルなど殆どアホの如くなり。



網走3



網走市街のジャズ喫茶「デリカップ」を訪ねた。
カウンターの女性に、近くにコインパーキングはありませんかと聞いた。
コインパーキングはないが、少し行くと車を停められる場所があるという。
行ってみたが分からなかった。
網走市役所があったので、来客用の駐車場に置き店へ向かった。
「車とめられましたか?」
いや、分からなかったので市役所に置いて来た、そう言うとそこなら何時間でも大丈夫だと彼女は言った。
薄暗い店内に結構客が入っていた。
ジャズ喫茶とはどこにも書いていないが、確かにジャズを小音量でかけている。
カウンターに座りマスターの話を伺う事が出来た。
「どちらから?」
「札幌です」
「車で?」
「はい」
「へ~・・・」
太い梁の上に設置されたビクターのスピーカーに見覚えがあった。
SX-3ですね、と言うと、フンまだまだ青いなという顔をされた。
ユニットをコーラルに換装してあるとの事だった。
アンプは自作品の真空管アンプで主にレコードをかけるが、音量は上げないとおっしゃっていた。
一日中店にいると大音量では耳がもたない、そう言ってマスターは笑った。
知らない土地の知らない店に来たら、思いきってカウンターに座ると思わぬ情報を聞けるときがある。
すぐ左手のピアノの横に、昔アート・ペッパーが座ったそうだ。
奥様と思われる先ほどの女性に見せて頂いた古い本の、モノクロ写真に確かにアートペッパーが写っていた。



網走



色褪せた写真の中、ウッドベースの辺りにアート・ペッパーが腰かけていた。
「ミーツ・ザ・リズムセクション」でもリクエストしようかと思った。
だがやめておいた。
なにか調子にのり過ぎな気がしたからだ。
生きている間に日本中のジャズ喫茶を訪ねようと思っているとマスターに話した。
そりゃ大変だね、このあとどこへ行くのかと聞かれ紋別だと答えた。
紋別にジャズ喫茶はないよとマスターは言った。

通りに出ると陽が高く、ハレーションをおこしそうな強い日差しに目が眩んだ。
気温が30度近くまで上がり、この辺では年に何度もない夏らしい一日だったようだ。
旅を始めた日から一か月以上が過ぎた。
でもゴメン、俺たちの旅はまだ続いている。











能取から紋別までの記憶

notoro1.jpg
No.57 2015.9.14





実際の日付は2015年8月13日(木)である。
旅を初めて六日目、北海道一周もそろそろ終盤に差し掛かっている。
網走を出た我々は国道238号線をそれ、道道76号線(通称美岬ライン)に入った。
能取(のとろ)岬に寄り道するためだ。
二ツ岩を過ぎスリリングな海岸線を行く。



notoro2.jpg



主要な観光地からやや外れた感のある能取岬。
立ち寄る人も多くない。
滅多にないチャンスなのか貪欲な蚊にあちこちやられる。



notoro3.jpg



ノースリーブでポーズなんかとってる場合ではなかった。
柔らかいところも硬いところも服の上からもお構いなしだ。
蚊の繁殖に貢献しR238に戻った。
能取湖畔続いてサロマ湖畔を走り、砂洲の先端離宮台にも寄る。
特別美しくもなんともなく、ただ行っただけ。
しかし結果的にこれが妻のピンチを救った。
戻る途中で妻の体調がやや不調になり、偶然通り掛かった湧別町の宿泊施設「レイクパレス」でギリギリセーフなトイレタイム。
間に合って良かった。
そうこうするうちに六泊目の宿泊地紋別が見えてきた。



monnbetu1.jpg



町一番のホテル。
こういった選択になりやすい。
だが記憶に残らない。
難しいところだ。
町最低の宿は確かに記憶に残るだろう。
だがそれは大抵悲惨な記憶なのだ。
この歳になってそれもどうかと思う。










ジャズを友とする

EVEREST.jpg
No.58 2015.9.15





JBLのスピーカーDD67000です。
詳細はこのホームページでご覧ください。
多少のお値引きが可能だとしても、300万以下では買えないと思われる品です。
ただしこれは一個分の価格なので、普通なら最低二個必要になる点に注意が必要です。

さて、ジャズを聴く時にこのような装置がどうしても必要かと言えば、必ずしもそうではありません。
しかしながらと申しますか、残念ながらと申しますか、最低限度の音質確保に気を配る必要はあります。
これは一生ジャズを聴いていくためのコツです。
音質が良いとジャズがより素敵に聴こえます。
逆に音質の悪い音楽鑑賞は苦痛でしかありません。
ジャズを友とする第一のポイントは自宅の音質維持です。
ではどの程度の投資が必要なのか。
安心してください、当面10万円くらいのミニコンポで十分です。
場合によってはいずれ不満が出てくるかもしれないし、そうならないかもしれない。
万一もっと良い音で聴きたいという気持ちになるのなら、それはその時に考えればよい事です。

ところでジャズはとっつき難い音楽でしょうか。
ハイ、それはある程度事実です。
では何故とっつき難いのか。
数が多過ぎて全体像がなかなか見えてこないせいです。
イタリアワインの密林に少し似ているかもしれません。
それをいい事に、ジャズ評論家と言われる人たちがジャズの一番楽しいところを隠そうとします。
楽しいところが簡単に分かってしまえば失業するからです。
「決定版 ジャズ名盤500」的なジャズ本と言われるものに載っているレコードのうち、大抵半分以上が楽しくありません。
聴く価値がないかと言えばそんな事はありませんが、少なくとも初めてジャズを聴く人が手を出す必要のないものです。
ジャズ評論家がそういった小難しい「名盤」を何故推薦するのか、それは自分を偉く見せるためです。
オーソライズですね。
仕事のオファーはその道の権威に集まるものですから。

それではジャズを友とするには何を聴けば良いのでしょう。
「フレンドリー・ジャズ ここだけの話」
そのような指南書があると良いのですが、私はまだ見たことがありません。
ではどうするのか。
一番手っ取り早い方法は、何と言ってもジャズ好きな異性と生活を共にする事ですが、なかなかそうもいきませんね。
第二の方法として数を聴くこと、やはりこれしかないのです。
しかし何の方針もなく片っ端から聴くには、先ほども言いましたがジャズは数が多過ぎます。
途中で迷子になり、出口が見えなくなるでしょう。
そこで先ずは「スタンダード」を聴きます。
スタンダードとは何か、そしてどんなスタンダードがあるか、そんな事くらい今の時代ネットで簡単に出てきます。
どんどん聴いていきましょう。
気に入らないものをどんどん飛ばして。
お気に入りのスタンダードをジャズメンとその収録アルバムのデータを含め、50曲分自分のものにしてください。
お気に入りの50トラックが出来たら、別のジャズメンが同じ曲を演っている筈ですから、そちらにも手を伸ばします。

スタンダードを覚えるのにボーカル盤も役立ちます。
特にフランク・シナトラです。
彼は発音が明瞭で曲を崩しませんでした。
模範的な教科書となるでしょう。
ではスタンダード50曲を覚えたあと、もうシナトラを聴かなくていいのか。
いいです。

あわせて同様にジャズメンオリジナルを50曲ゲットして下さい。
有名所を思いつくままあげてみます。
「エンジェル・アイズ」「アイ・リメンバー・クリフォード」「A列車で行こう」「レフト・アローン」「バードランドの子守歌」「ソー・ホワット」「ブルー・トレイン」「キャラバン」「コンファメーション」「ビ・バップ」「ワルツ・フォー・デビィ」「テイク・ファイブ」「ストールン・モーメンツ」「ラウンド・ミッドナイト」「ジャンゴ」「ワーク・ソング」「クレオパトラの夢」「ジョードゥ」「ミスティ」「モーニン」「ニカズ・ドリーム」「チュニジアの夜」「スペイン」などなど無数にあります。
こちらの方が玉石混淆です。
特に近年の作品(と呼んで良いものかその点がそもそも疑問)には、ハシにもボウにもかからないものが実際あります。
気にいらなければ飛ばして構いません。
どんどん飛ばしてください。
気に入らないものを我慢して聴く、これが挫折の原因です。
ジャズを友とするのに最も良くありません。

スタンダード50曲、ジャズメンオリジナル50曲、あわせて100曲、気に入らないものをどんどん飛ばし100曲を完全に自分のものにする。
これがジャズを友とするための第二のポイントです。
しかしそのために何枚CDを買えば良いのか。
結論から言えばこの段階でCDを買ってはいけません。
ジャズのCDはもの凄い数あります。
出鱈目に買うと、お気に入りが一曲もないものを大量につかむ事態が生じます。
実は私がそうでした。
当たりが5枚に一曲、10枚に一曲あるかないかといった悲惨さです。
100曲のお気に入りを作るのに1000枚のCDを買うハメになります。
一枚平均2000円として、全体で200万円ですね。
この方法はあまりおススメ出来ません。
Youtubeを活用しましょう。
ただしノートパソコンの貧弱なスピーカーで聴くのはナシです。
Chromecastで信号をテレビに飛ばします。
テレビの裏にある音声出力端子とミニコンポなどのアンプ(どこでもいいですが例えばAUX端子など)を、お手元のオーディオケーブルで繋いで音を出してください。
これが一番簡単です。

さあ、あとは聴くだけです。
聴いて聴いて聴きこんで、本当に気に入ったアルバムがあればCDを買うのも良いと思います。
この方法であなたのジャズを広げていってください。
もしも既にミニコンポとテレビをお持ちなら、初期投資はChromecastの数千円だけです。
100曲のお気に入りを見つけるまで、もしかしたら1年2年かかるかもしれませんね。
しかしこの作業は結構楽しいと思います。
ここまで来たら、一丁前のジャズファンです。
あとは自然に世界が開けていくでしょう。
そしてきっと、ジャズが生涯の友となる筈です。











紋別 レストランあんどうの怪

紋別1
No.59 2015.9.16





なんだか寂しい紋別の街並みだ。
妻にこの町出身の友人がいるので、どこか旨いものを食わせる店がないか聞いたところ、「ない」との事だった。
町で一番マシなこのホテルのレストランが一番マシだと。
私は到着後どうも不安になりフロントでメニューを見せてもらった。
何と言って良いか分からなかった。



紋別2



妻と二人(今更他にいる筈もない)探検に出かけた。
例によって勘と臭覚を頼りに見つけた「レストラン あんどう」。
絶対こっちが美味いと思った。
まだ店は開いていなかった。
電話しかない。
104で番号を聞くと二つある。
店の前で両方かけてみた。
同じ店のホールと厨房じゃないか。
6時の予約を申し出る。
二人掛けの席で良ければ一つ空いている、との事だ。
良かった。



紋別3



お見せ出来ないが前菜、スープ、ステーキ(妻はシーフードのグリルと珍しくハンバーグまで注文)そしてワインも正直申し上げて望外のものだったのである。



紋別4



確かに全席予約が入っていた。
妻の友人は何故この店を教えてくれなかったのか。
後で聞いたところでは、「あんどう」さん(男性です)は彼女のテニス部の先輩だと言うのである。
そして彼女はその事を店の存在も含め忘れていたと。
嘘だな、この店を忘れる筈がない。
彼女と安藤先輩の間で何事かあったに違いないと思った。
いったいなにが?
やっぱ、あんな事やこんな事か?カジカジ的な。

秘められしテニス部のおもひでインビ・・・













稚内へ

紋別霧
No.60 2015.9.17





紋別の朝も霧だ。
安全運転で稚内へ向かう。
霧のタイムトンネルを抜けて。
ラングラー最大の美点は安全運転になる事かもしれない。
とばしても楽しくないので、自然にのんびり運転となる。
いい事だ。



宗谷1



宗谷岬の高台に残る帝国海軍望楼跡。
見張り台だ。
宗谷海峡が国境の時代は現在もそうだが明治の頃にもあり、ロシア海軍の動きをこうした施設で監視していた。
いつの世もこの日のような天候がけして珍しくなかったと思われる。
双眼鏡程度の光学機器があったとしても所詮肉眼による監視だ。
はっきり言ってあまり役に立ったとも思えない。
軍隊というところは、少しでも可能性ありと思われれば押さえておかねばならず、それ故金もかかる。
当時の日本は貧乏だった。
にも拘わらず国家予算の過半を軍事費に充てていた。
なんでもそうだが無理し過ぎると大抵うまくいかないものだ。
余裕がないから判断を誤る事にもなる。
旧日本軍は大事なところで貧乏性を覗かせ失敗したが、ただ将兵の命だけは惜しまなかった。
いや将兵に限らず、軍属を含む一般国民の命をも極めて粗末に扱った。
このことが憲法九条信仰の深い浸透に大きく貢献したと思う。

九条は勝者が敗者に強いた制裁だ。
グロテスクな軍事国家に対し、二度と歯向かう機会を与えない断固たる措置だった。
一方で国民の側では日本軍への信頼が完全に失われていたから、この措置は拍手をもって迎えられ70年の間概ね変わることがなかった。
その後国際情勢は大きく変化した。
しかし日本人の軍隊に対する信頼が回復する事はなかった。
無理もない、確かにな。

平和ボケと言うが、ある意味日本は二度目の鎖国に陥っていたのだと私は思う。
この70年、世界中で何が起きたか今更語るまでもない。
しかし残念だが、見て見ぬフリで済まされて来たのがこの国だった。
それはきっとこれからも続くだろう。
日本国の主権がある日理不尽に侵害されるまで。

憲法改正に国民投票を要する限り、私も九条改正が否決されると思う一人だ。
増税と兵役を国民投票にかければ大概否定される。
当然だ。
それを責める事なんかできない。
人間の本性だからだ。
増税と兵役の是非を国民に問うてはならないのだ。

解釈改憲はプラグマチックな解決方法だと思われる。
確かに当面これしかないだろう。
大丈夫腰のひけた最高裁が教条主義に寝返る恐れなんかない。



宗谷2



半ば諦めていた樺太はやはり見えない。



稚内



妻が某広告代理店勤務の時、このホテルのオープンに関わったらしい。
三セク方式で建てられたホテルだ。
当時某航空会社が就航路線へホテルの開業を進めており、こんな僻地にもシティホテルを作ろうとした。
だがさすがに単独では不安だったのだろうか、稚内市に一口乗れと持ち掛けた訳だ。
そういう時に陰で色々お膳立てするのが広告代理店だ。
傍で見ていた妻は、こんなもの作って大丈夫なのかと無責任にも内心思ったそうだ。
女の勘は鋭い、と言うより普通誰だってそう思う。
案の定思わしくなくなり、稚内市はやむなく売却を決め現在は経営形態が変わっている。
あとに十数億の負債だけが残り、稚内市は今後それを返済していかなければならない。
身のほどを知るというのはいつだってとても大事だ。
因みに稚内路線の収支であるが、黒字化したことは今日まで一度もない。
実は国内線の収支は赤字の方が多く、羽田便の黒字でその他の欠損を埋めているのが現状だ。
そうした事情を考えれば、某航空会社がこのホテルの先行きを初めから怪しく思っていたと考えるのが妥当に思える。
だが怪しく感じたのは市当局とて同じではなかったか。
分かっていた筈なのに広告代理店の甘言故か、田舎の役場が夢を見せられ旨々とやられたというのが真相ではないだろうか。
事実、某航空会社の名前が今もホテルにそのまま残っている。
彼らはこれでオーケーなんだろう。












テニスコートの快晴

有明秋
No.61 2015.9.18





秋晴れのテニスコート。
気温25度、無風だ。
こんなに気持ちの良いテニスも今年最後かな。
陽を浴びているだけで幸せな気持ちになる。
ボレーがスパスパ決まり、サービスエースが二本も出た。
いい日だった。
日焼けで鼻が赤くなったが。

テニスのショットは大きく分けると三つある。
フォアハンド、バックハンド、オーバーヘッドだ。
このうち一番得意なのがバックハンドで不得意はオーバーヘッド、フォアハンドはあまり安定しない。
バックハンドが得意でフォアハンドが安定しない理由は、多分グリップだと思う。
昔のテニスなのでコンチネンタルグリップという薄い握り方をし、私はグリップチェンジしない。
これはバックハンドを打つためのグリップで、フォアハンドに向かない。
はじめからバックを待っていると言うか、フォアを捨てているようなものだ。
だから何度もご一緒する人は私のバックに打って来なくなる。

今時コンチネンタルで全部賄う人はあまりいない。
特に若者では皆無と言ってよろしかろう。
皆さんどうやって打ってるか分からないような厚い握りでスピンの効いた球を打つが、下手をすると頭が悪そうに見えるので注意が必要だ。 

オーバーヘッドが不得意なのは脳の構造によるものと思われる。
野球少年の頃からフライを捕るのが苦手だった。
上を向いていると2秒くらいで自分の位置関係が混乱してくる。
だから外野手に向いていなかった。
私が三塁手だったのはそのような事情からだ。
こういった事はいくら練習しても良くならないので、私のオーバーヘッドは一生不細工なままだろう。

バックハンドを両手で打つ人がいる。
あれは見苦しい。
特に男はダメだ。
男らしく片手で打てと言いたい。
ルールを改正し必ず片手でやるようにしたいが無理だろう。
知り合いにバックは片手だがフォアは両手という変人がいる。
なんと言ったら良いか分からないので黙っている。











稚内にて ①

稚内5
No.62 2015.9.19





窓の向こうに見えるビジネスホテルが出来てから、このホテルの売り上げが激減したという。
商売は先が読めないものだ。
何が起きるか誰にも分からないと言っていいだろう。
実際多くの有名企業が消えた。
それは今後も変わらないのだ。
現在絶好調に見える者の5年後はどうなっている。
そんな事分かるものか。
なにも仕事に限った話ではないのだが、それでもなんとか生きていくしかない。
人生は地雷原だ。
勘と運と根性だけが頼り。
あとは目を瞑って走れ。
諸君、頑張ろう。
な~に、そんなに長い話でもない。


という訳で、チェックイン後例によって街へ探検に繰り出す。



稚内3



稚内の商店街にはこのように、ロシア語表記の看板が掛かっている。
その割にロシア人の姿は見えない。



稚内2



マジすか・・・



稚内4



稚内唯一のジャズ喫茶と聞いて来た。
開いた扉の奥からジャズではなく少女の歌声が聞こえてくる。
「ため息の出るよな、あなたのくちづけに、甘い恋を夢見る乙女心よ・・・」
顔を見合わせた。
どうする?
どうって、ここまで来たら入るしかないだろう。

カウンターの中で老婆が高校野球を見ていた。
孫と思われる女の子がスツールに腰かけ足をバタつかせている。
小学校低学年だろうか。
老婆は客が入って来たのを見て驚いた様子だった。
どこに座ろうかと店内を見回す。
ボックス席のテーブルがどうやらテレビゲームらしい。
今時まだあったんだな。
インベーダーゲームか?
我々はカウンターに座りビールを注文した。
女の子が「買ってくる?」と小声で聞いた。
「大丈夫だよ」
老婆は冷蔵庫を物色し缶ビールを一つ取り出した。
「旅行ですか?」
「はい」
「東京から?」
「いいえ、札幌です」
「車で?」
「ええ」
聞いていた孫娘が「ビール飲んだら運転できないよ」と言った。
「心配ないよ、今日はもう運転しないから。稚内に泊まるんだよ」
「ホテル取れましたか?」と老婆。
お盆はなかなか部屋が取れないそうだ。
半年前から計画していたおかげで、宿の手配がうまくいったようだ。
「ジャズ喫茶はやめたんですか?」ストレートに聞いてみた。
「いや、そんなことないけど・・・」
老婆はテレビを消し、CDをかけた。
どこかで小さく音楽が鳴っている。
「わたし、レコードの方が音がいいと思うんだよね。前はたくさんあったんだ。それを主人が全部人に貸して、返してもらう前に死んでしまったんだ」
「そうなんですか・・・どれくらいあったんですか?」
「そうだねえ、100枚以上あったんだわ」
「・・・・」
「ビールもう一缶ありますか?」
話題を変えることにした。
「さっき恋のバカンスを歌っていたね、ザ・ピーナツの」
ロシアとの友好レセプションがあり、女の子はそこで歌うのだそうだ。
それにしてもAKBとかもっと他にありそうなものだが、カチューシャがどうとかこうとか色々。
ついでにロシア語表記の看板について尋ねてみた。
かつてこの町がロシア人で賑わった事があったという。
それが10年ほど前にパタッといなくなった。
どんなブームもいずれ去る。
例の爆買いの人達も近いうちにそうなるのだろう。
あんな事あったね、あったあったと思い出話のネタになる頃、もう世の中随分変わっているのだろうな。








稚内にて ②

稚内1
No.63 2015.9.20





最北の駅。
線路はここで終わりです、の演出を施す。



稚内6



やや旧式の巡視船「もとうら」。
速力も18ノットと遅い。
船首に20ミリバルカン砲を装備するも、自動追尾機能は持たない。
もしも戦闘となった場合、ジパングの「みらい」のようなわけにはいかないという事だ。



稚内8



稚内から増毛に向かう朝ノシャップ岬に寄った。
根室半島の納沙布岬との混同に注意を要する。
天候悪く何も見えない。



稚内7



ノシャップ岬にある空自のレーダーサイト。
有事の際真っ先に巡航ミサイルが飛んで来る場所だ。
それだけに強力な対空装備を配置している。
ところで有事の際に原発は大丈夫なのか。
この点が非常に気がかりだ。

核兵器を製造するにはかなり高度な技術が必要だ。
しかしそんな技術がなくとも効果のある「核兵器」が作れる。
ダーティボムと呼ばれている。
核分裂反応などという難しい事をねらわず、ただ目的地に核物質をばら撒くというものだ。
中身によるが、モノによってはその地域を実質的に消滅させてしまう。
元々そこに核物質があるなのら、もっと簡単に相手方を汚染させる事が可能だ。
言いたい事をご理解頂けると思う。
原発が丸腰というのは本当に勘弁してもらいたい。
私の家と泊原発は60キロしか距離がないのだ。
福島第一を見よ。
「ちょっと」漏れただけであの有様だ。
原子炉が吹っ飛んだらどうなると思う?
核燃料プールが倒壊したら?











オロロンライン

増毛1
No.64 2015.9.21





稚内を出発、今回の最終宿泊地増毛へ向かいオロロンラインを南下する。
この後同じルートを友人夫妻が北上している。
おもしろい偶然だ。
天候が回復しはじめる。
稚内では肌寒い曇天だったのに。
結局この日30度近くまで気温が上がった。



オロロン2



サロベツ原野辺りを走行中大規模な風力発電施設に遭遇した。
友人のブログによれば音類(オトンルイ)という場所らしい。
彼らはしっかり事前にリサーチした上で、ここを通過というか停車し観察している。
我々は存在すら知らずに来「スゲーな、これ全部で100億以上だぞ。でもこの電力だれがどこで使うんだ?」などと言いながらスルーだ。
人の興味の対象とは千差万別であるな。



天売焼尻



羽幌町の海岸で人々が海水浴に熱中していた。
沖を見れば画像不鮮明だが天売・焼尻。
ここで最後の給油をする。
最終的に2000キロ近く走ることになった。
平均燃費はリッター10キロ以上の計算となり、この車なかなか経済的で驚く。
FRだからだろう。
冬になって四駆を使えばそうもいかないと思われる。



小平1



増毛の手前、小平町の重要文化財鰊番屋に立ち寄る。
失礼ながら小さな自治体がこれを維持管理するのは大変だろう。
すぐ向かい側の鬼鹿海岸に「三船遭難慰霊之碑」がある。
1945年8月22日のこと、樺太からの引揚船三隻が留萌沖で突如ソ連の潜水艦による魚雷攻撃を受けた。
戦争は終わっていたのだ。
白旗を掲げた船もあった。
ソ連潜水艦はこれを無視し、攻撃が続行された。
この事件で1700名余の犠牲者が出た。
ほとんどが婦女子だったと言われている。
このうち泰東丸の遺品と思われるものが小平町に漂着し、番屋隣接の郷土資料館にて保存されている。
残念ながらこの日は閉館していた。

尚、ソ連軍は千島・南樺太侵攻に続き、北海道占領を計画し留萌への上陸作戦を企図していたが、アメリカの圧力に屈し断念する。
言うまでもなくその時点でアメリカのみが保持する核兵器が圧力の源泉であった。
ソ連にはまだアメリカと事を構える力がなかった。
彼らは日露戦争の雪辱を果たすべく虎視眈々チャンスを窺って来た。
しかし主要な目標とした北海道を捕り損う結果となった。
そこ替わりに行われたのがシベリア抑留であったとされる。












花田家鰊番屋

小平4
No.65 2015.9.22





かつて鰊漁で栄えた北海道の日本海沿岸地帯だ。
方々に鰊御殿と呼ばれる木造建築物が建てられた。
そのうちで、この花田家番屋は最大のものだそうだ。
その後鰊は嘘のようにいなくなった。
だが同じように獲れたとしても、今ならどうだろう。
当時の需要は肥料と油用だったのだ。
今大量に鰊が獲れてもたいして金にならないって事はないか。
そもそも私はかずのこが嫌いだ。
身欠き鰊も嫌い。
だから京都名物鰊蕎麦も食べた記憶がない。



小平3



何の説明もないが伊万里焼の金隠しだろうか。
ご遠慮下さいと言われなくても憚られる。
それで便所のことを「はばかり」と言うのかな。
単なる思いつきだ。
多分違うと思うけど。



増毛6



八泊目、最後の宿。
ここは様々驚かされた。
部屋の三点ユニット(風呂・トイレ・洗面台が一つになっている)に洗浄便座が一応付いているのだが、肛門を洗うスイッチが折れて無くなっていた。
昨日今日の事ではあるまい。
仕方なくビデというヤツを操作してみたのである。
案外これでいけるのに驚いた。



増毛3



夕食は一応フレンチのコースなのだ。
浴衣はないんじゃないの。
私は夕食はおろか朝食もジャケットを着て行った。
何故なら部屋に金庫すらないのだ。
だから全財産身に着けて部屋を出るしかなかった。

ワインを頼んだ。
すいている間はサーブしてくれた。
しかし混んできたら完全放置だ。
これが一番困る。
手酌なら手酌でいいから、初めからそうしてよ。



増毛5



こうして最後の夜が更けてゆく。







帰宅

増毛7
No.66 2015.9.23





これが最大の謎。
有名店のシェフが名前を貸している。
彼が経営しているとか監修しているとは思えない。
どっちがどっちとは言わないが、ショパンと泉谷しげる程の隔たりが両者にある。
確かにこの人は増毛の出身と聞いていた。
しかしこのタイアップはどちらのためにもならないな。



増毛8



売店で堂々とミクニ製品も売られている。



増毛2



宿の窓からこの景色が見える。
敷地内だろう。
アッチョンブリケ。



札幌へ



気を取り直し帰宅の途に就く。
文句も言ったけど、概ね楽しかった北海道一周だ。
だが北海道はヤバいと思ったのも事実である。
これで観光客を満足させられるか?
特に旅慣れた人、本当の贅沢を知っている人、つまりお金を落としてくれる上客がまた来てくれるか?
どこへ行ってもそう思った。
北海道が観光地なら、ライバルは世界中にいる。
近くは日本中にあるのだ。
それらに勝てるのか?
甚だ心許ないと思った。
広大な自然と温泉と蟹とビール、それからラーメンにあとは精々ソフトクリームでこれからも引っ張る気か?
無理だ、もう飽きられている。
爆買の人たちだってそれではいつまでも来てくれない。



実はシルバーウィークを利用して娘と京都に来ていた。
何事もなければ今頃家に帰るところであろうか。
実際にこれを書いているのは9月18日金曜夜である。
連休中の天気予報によれば秋晴れになりそうだ。
良い旅になるといいが。








京都 ①

京都2015-1
No.67 2015.9.24





この店でご想像通りな豆腐のコース料理を食す。
木屋町三条上ル、その界隈路地に入り口がある。

高瀬川沿いの風情が昔から好きだった。
今回は散歩するなら早朝だと思った。
夜も悪くはないが、なにしろ連休で人が多すぎる。
我々も他人からそのように見られているのだろう。

とにかく歩いた歩いた。
毎日三万歩いた。



京都2015-2



豆水楼の裏側は鴨川に面していて、川床になっている。
二か月前から予約していた。
どんどん混んで来て川床はやはり満席になった。
でも店内は半分しか客が入らない。
連休なのにどうしてだろう。
やがて理由が判明する。
「もしも雨が降って来たらどうするんですか」
店員さんに聞いてみたのである。
全員店内に撤収するそうだ。
そりゃそうだろうな。
それで判った。
川床の客を収容出来るように、その分店内を空けてあるのだという。
この日はほぼ快晴で、降雨確率限りなくゼロに近かった。
それでも準備を怠らないのだ。
驚き感心した。



京都2015-3



食事を終え、行き交う人を避けながら四条通まで歩く。
高瀬川の水位浅く、流れが早い。
だから余計に水が澄んで見える。

川面に映る街の灯り。
女性に好まれる、効果的で低コストな観光資源だ。



京都2015-4



途中で娘が「もう一杯飲もう」と言い出し、そうかと目の前の店に入る。
客はおらず、店主と話がはずむ。
「ぐじ」の塩焼きに冷酒で盛り上がった。
全開の窓を抜け心地良いそよ風が店を通ってゆく。
風が描いた秋の始まり。
上手く書いてねって言ったのに。
いつもちっとも似てないの。
窓の下には高瀬川。
気が付けば店主、隣で一緒に飲んでいる。
京の夜が更けていった。











京都 ②

京都2015-5
No.68 2015.9.25





早朝ホテルを出発する時点で既に暑い。
しかし今年はこれでもまだ涼しい方だ。
例年京都の九月はもっと暑かった。
札幌の真夏より暑いかもしれない。
だから先だって行った十勝や道東などの夏は、こちらの人にすれば嘘のように過ごしやすい筈だ。
それを上手く生かしたい。
北海道はもっと豊かになれる筈だ。
一人ひとりがもっと大人にならなくてはな。
京都を見ていると特にそれを強く感じる。



京都2015-7



四条通がこんなに空いている。
連休だけどそんなに心配いらないのか。
皆さん今日からハワイ辺りに行ったのだとしたらすごくラッキーだけど。
でもきっと今に混んでくる。
朝早いから人出が少ないだけだ。
東へ向かい四条河原町を左折する。
歩きやすくとても気分がいい。
早起きして三文得した。



京都2015-8



河原町通に「近江屋跡」の看板を見つけた。
こんなところにあったんだな。
普段は人ごみに紛れてしまい、今まで気が付かなかったのか。
坂本龍馬がここで暗殺された。
もし難を逃れその後も彼が生きていたら、明治政府はどうなっただろう。
私は案外変わらなかったと思う。
そもそもあの激動期でなければ龍馬が、そして多くの志士達が表舞台で活躍する事などけしてなかった。
まさに時代が彼らを必要とし、一瞬だけその力を利用したのだと思う。
確かに必要だった。
彼らがいなければその後の日本がどうなったか分からない程に。
たとえそれが事実でも龍馬の政治的な役割は既に大方終わっていた。
その後の歴史は彼を置き去りにして先へ進んだだろう。
本人には気の毒だが、一番いいところで龍馬は死にそして伝説となった。
次に必要とされていたのは、むしろ優秀なテクノクラートだった。
いつだって人材というものは国家に使い捨てられる定めなのだ。
だとしても、まったくのボンクラ扱いで相手にされないよりもずっといい。
つまり私の事だけど。
龍馬と中岡慎太郎の墓が高台寺の近くにあり、そこへ行ってみようと思っていたが行き忘れた。



京都2015-9



さらに北上市役所前から地下鉄東西線に乗り蹴上で下車、南禅寺を目指す。
私が京都に住んでいた40年前、地下鉄など影も形もないばかりか、まだチンチン電車が走っていた。
京都では自動車の軌道敷内進入禁止がまったく守られず、路面電車は苦境に立たされていた。
むしろ渋滞の元凶の如く言われたが、私は好きだった。
路面電車を残す方法はなかったのか。
一度廃止したが最後、復活するのは事実上困難だ。
京都の街にチンチン電車が似合っていた。
日本で一番似合っていたと思う。
だからとても残念だ。

京都の地下鉄開発は札幌よりもずっと遅れた。
一つには札幌にオリンピックが来たという特殊事情があった。
だがそれ以上に簡単に掘れないローカル事情の方が勝っていた筈だ。
それは市街地の地下を掘ると色々出てくるからだ。
京都の地下鉄は刷毛で掘ったと言われた。
この煉瓦造りのトンネルは蹴上駅のすぐ下にある。
ここを抜けると南禅寺へと続いている。









京都 ③

京都2015-10
No.69 2015.9.26





南禅寺目前、妻のトイレ事情で金地院に寄る。
南禅寺派の小院で、境内に徳川家康の遺言により建てられた東照宮がある。
これは孫の家光が作らせたという枯山水「鶴亀の庭」だ。
徳川と縁が深い。
唐突に明智光秀の建てた門があった。
実は本能寺の変について、家康と光秀の共同謀議だったとの説がある。
家康の存在が疎ましくなりだした織田信長は、家康を本能寺に呼び光秀に討たせようとした。
このままではいずれ自分も滅ぼされると感じた光秀が、家康と通じ信長を討ったのが本能寺の変だというものだ。
あり得ない話でもない。
家康を油断させ本能寺におびき寄せる必要があったとすれば、手薄な信長の警護にも説明がつくのではないか。
金地院に残る明智門が建てられたのは1582年、正しく本能寺の変が起きた年だった。



京都2015-11



庭のきわに池がある。
近づくと人影に気付いた鯉が「なんかくれ」と寄ってくる。
一番手前に大きな亀も首を伸ばし映っているのが分かるだろうか。



京都2015-12



南禅寺そのものには用がなく、水路閣が見たかった。
琵琶湖の水を京都に引くため、明治政府が境内にこれを作った。
今でこそ景色にとけ込んでいるが、出来たばかりの頃は相当な違和感があっただろう。
南禅寺も京都の民も薩長の田舎者を罵ったに違いない。
京の都は歴史上現れた幾多の権力者に翻弄されつつ生き延びてきた。
彼らの内に秘めた憂いやどこかニヒルな横顔、あるいは言葉の襞に忍ばせた皮肉がそのような背景により醸成された。
だがお陰で世界有数の観光都市となった事も事実であろう。



京都2015-13



この施設は廃墟などでなく、今も立派に実用されている。
上にあがり水路を見ることも可能だ。
関西電力の管轄下に置かれ水力発電も行われている。
昔は見向きもしなかったが、来て良かった。



京都2015-14



少々危険だが、水路わきを歩いて蹴上駅方面に抜けることが出来る。

ところでガラケーで撮った割にきれいじゃないですか?
まさに自画自賛?
そうだよな。
それにしても上手くいく時とそうじゃない時の差が激しく、ダメな時の原因がよくわからないのが悩みの種だ。
まあ素人の写真であればそんなもんかとも。










京都 ④

京都2015-37
No.70 2015.9.27





南禅寺水路閣より続く琵琶湖疎水から神宮通で左折、円山公園方面へ向かう。
途中知恩院の手前にこの巨木がある。
アングルに納まりきらないクスノキの枝が通りを跨ぎ電線に支えられている。
何度か通ったことがあり、知恩院の一部と思っていたがそうではない。
青蓮院。
よく観察すると他の社寺と趣が異なる。
観光客にアピールして拝観料を稼ごうといった魂胆が見受けられないのだ。
それもその筈、ここは宮内庁の管轄下にある。
昔天皇には多くの側室がおり、即位の可能性が低い男子を出家させて門主とした。
ここもそういった受け入れ先だった。
皇居前にある楠正成像とこのクスノキの巨木に、何らかの関連があるのだろうか。
それとはやや別の話になるが、お暇な時に「大室寅之佑」についても検索せられたし。
ちょっと面白いネタである。
ガセネタの可能性なしとせず、ご判断は各々慎重にとお願い申し上げる。



京都2015-15



八坂神社界隈の少しわかり辛い場所にある「ぎをん梅の井」は鰻屋だ。
ここで昼食にする。
予約が必要だ。
実際とびこみのお客が断られていた。
味付けとても好ましい。
だが鰻自体は普通だった。
かつて札幌に「なが木」という店がありとても美味しかったが、良い鰻が手に入らなくなったとの理由で閉店してしまった。
いずれ我々は鰻を食べられなくなるのだろうか。
もしそんな事になっても妻は困らない。
鰻が嫌いだからだ。
この日もひとり天丼を食っていた。
味を尋ねたら普通と。
そうだろうな、鰻屋の天丼が旨い筈もない。



京都2015-16



食後、祇園四条北側にある京都現代美術館へ。
魯山人は母親の不貞により出来た子なのだとか。
それを恨んだ父親が自殺を遂げている。
DNA鑑定などなかった明治の事だが、場合によっては分かるものなんだなと感心した。
北大路氏とは上賀茂神社神官(社家)の家柄なのだが、そういった家の妻女すらその有様である。
世の男性諸氏ゆめゆめご油断なきように。



京都2015-17


私すき焼きが好きで、今夜何か食べたいものがあるかと問われると大抵すき焼きと答えてしまう。
だが歳のせいか一口で食い飽きるようになった。
市販の割り下が甘すぎるせいだと思う。
そういえばと魯山人式すき焼きを思い出した。
要するに甘さ控え目と考えてよろしかろう。
これならご同輩、飽きずに食べられると思う。
一度お試し頂きたい。











京都 ⑤

京都2015-18
No.71 2015.9.28





京都現代美術館から西へ少し歩き京阪電車に乗る。
出町柳駅で降りるとそこは川の合流地点である。
左の賀茂川右の高野川が合わさり鴨川となる。
股の部分が下鴨神社だ。
「加茂の流れ」はここで字が変わる。
これは娘の指摘で、私はこの歳になるまで気付かずにいた。
南こうせつ氏が何故「鴨」を「加茂」と表記したのか、何か合理的な理由があり誤記ではないのだろうが未だ知らない。
そもそも「加茂の流れに映るあなたの姿」と言うが、高瀬川ならともかく鴨川にあなたの姿など映るまい。
ただ、ここに架かる賀茂大橋(地図表記)であるが、現地表記では「加茂大橋」なので、かつて加茂川と書いた可能性はある。
また加茂という地名が川だけでなく全国各地に残っている。
加茂はありふれた固有名詞だったようだ。

ここから徒歩13分の場所に「イーグルコート京都御所」がある。
三階建て三階の3LDK75㎡が賃貸に出ており家賃26万円だ。
敷金1礼金2仲介手数料1前家賃1だから初期費用が最低130万円必要になる。
しかし3カ月前に竣工したばかりのこの物件を見に行く訳ではない。
このマンションの敷地を提供した梨木神社の萩まつりを見たいと娘が言うのだ。



京都2015-19



京都御所の東に隣接する梨木神社敷地に分譲マンションが建ち、地元では結構話題になったようだ。
つまり問題になったという事だ。
梨木神社側では本殿改修費用捻出のためとしたが、ほぼ御所内と言っていいような場所にそれはないだろうと文句を言う人がいた。
分譲と言っても土地利用権が60年の定期借地権であり、建物買取請求権も契約更新も改築による期間延長もない。
買った人は60年後速やかに立ち退かねばならない。
行ってみると鳥居の前を塞ぐ形でデンと建っている。
梨木神社の参道が狭い丁字路になった形だ。
でもたったの60年だ。
60年で確実に返ってくる。
そんなん一瞬やおまへんか、そうした神社側の言い分が非常に京都らしいと思った。
物件自体には不動産屋が言う通り、「荘厳な気配」が確かに漂っている。
いいマンションだ。
この時間萩まつりの催しで日舞が行われていた。



京都2015-20



梨木神社から東大路丸太町方面へ向かう。
川端通から鴨川の遊歩道に降りてみた。
去年の送り火の日、豪雨で大変な事になっていた河川敷にススキの穂が揺れている。





京都2015-21



浅瀬でグレイヘロンが餌を探していた。
近づくとどんどん離れて行っていまう。
そんなに嫌うなよ。
まあいいや、こいつとはまた東寺の堀さらに円山公園で再会することになる。











京都 ⑥

京都2015-22
No.72 2015.9.29





今年も北大路丸太町の「YAMATOYA」にやって来た。
京都最後のジャズ喫茶。
この店が最後に残ったのは想像だが余裕があるからだと思う。
他に収入があり店は趣味でやっているのではないだろうか。
現存する老舗ジャズ喫茶の殆どがそのような裏事情で共通している。
カツカツでやり繰りして来たのなら、おそらく30年前に姿を消していただろう。



京都2015-23



結構お客が入っている。
昨年ゆかた姿で母親と交代した娘さんが、バーテンダーの装いで頑張っていた。
すでにセンターとなっていると言っていいだろう。
皿回しも全部彼女が取り仕切っていた。
娘が跡を継ぐというので大改装したと、昨年お母さんが語っておられたので、予定通り事が進んでいるのだろう。
それはいいのだが、ほぼ一年ぶりにお会いしたお母さんの様子が少しおかしいのが気になる。
目つきが虚ろで足取りも覚束ない。
少し健康に問題が発生しているように見えた。
どうか無理をなさいませんように。



京都2015-25



この日の夕食に二条寺町の「二条 椿」を予約していた。
6時の予約に合わせて一度ホテルに戻り、身支度を整えて出直す予定だった。
東大路通でバスに乗る。
ところがひどい渋滞でさっぱり進まない。
現在の京都市内で一番混むのは、もしかするとこの東大路ではないか。
時間ばかりが進みバスは一向に動かない。
遂にホテルへの立ち寄りを諦める事態となる。



3[1]



「二条 椿」は細い路地の奥にある。
表通りに看板も出ておらず、申し訳程度の行灯があるのみだ。
京都らしいと言えば京都らしい。
すかしているとも言える。
全八席のカウンターは当然のように予約で埋まっていた。
初めてお会いする店主は40そこそこの若さでこの店が二店目らしい。
この方も非常に京都らしい人物だ。
割といいシャンパンを一万円で提供できる技量なかなかのものである。



4[1]



しかし喋り過ぎる。
難しいところだ。
確かにカウンターの店で無口ではもたない。
かと言って京懐石の塩加減の如くに丁度いい塩梅で喋るのは大変だろう。
不安感からつい喋り過ぎてしまう気持ちもある程度理解できるが、しかし相手の情報が少ない中で喋りすぎればどうしても自分の話が中心となり、どうしても自慢話に聞こえ勝ちになる。
タクシードライバーもそうだ。
無口か喋り過ぎかの二択で丁度いい人がいない。
いや、無口なのは別に構わないのだ。
だが喋り過ぎは勘弁してもらいたい。
相手をするのが苦痛になるようでは困る。
だから私は京都でタクシーなど滅多な事で乗らないようにしている。

この店でシメに供された鯛飯が娘は大層気に入った様子だった。
今度作ってくれるそうだ。
楽しみにしていよう。











京都 ⑦ 

京都2015-6
No.73 2015.9.30





六時前東の空がやっと明るくなり始める。
どんなに身体が疲れていてもこの時刻になると目覚めてしまう。
疲れていない日?
3時前だ。



京都2015¥7



京都の朝は東山に遮られ日の出が遅い。
この時季六時をかなり回らないと太陽が顔を出さない。



京都2015-5



苔寺(西芳寺)の拝観予約に合わせホテルを出発する。
四条烏丸の滋賀銀行前でバスを待っていたら、中国人女性に話しかけられた。
ナンパではない。
金閣寺行きのバスはここに止まるのか、という事だった。
彼女が乗りたいバスの時刻表がこのバス停にないので、ここではない旨お伝えする。
四条烏丸の交差点付近には四か所バス停がある。
北へ向かい左に曲がった所かもしれない、と話しているところへ我々が乗る予定のバスが到着した。
ところが満員で乗ることが出来ない。
やむなくタクシーを拾う。
運転手さんがやけに飛ばす人で、予定よりだいぶ早く到着した。



京都2015-8



苔寺の門はまだ閉ざされている。
そこで近所の「地蔵院」へ行ってみた。
一休さんが幼少時にこで修行したのだとか。
実在の人物と思っていなかった。
勉強になった。

受付に虫よけスプレーが用意されていた。
そんなもの、と使わなかったが甘かった。
チューチュー吸われまくった。
今回の旅行中に起きた蚊の被害の九割がここで発生したものだ。



京都2015-9



見事な竹林だ。
北海道には孟宗竹がないので、とても珍しく思える。
本州方面の人から見ればなんだこんなもの、なのだろうか。
我々が雪を見て喜ぶ観光客を半ば呆れて見ているのと同じことかもしれない。



京都2015-11



苔寺は修学旅行以来だ。
現在では拝観者を制限しているため、事前の申し込みが必要だ。
私特に関心があるわけではないが、娘が見たいと言い三人分の申し込みをしていた。



京都2015-10



世界遺産の庭を見る前に一同の者本堂にて般若心経に付き合わされる。
お経ってよく聞けば日本語なんだな、そういえば教会で神父が読み聞かせる聖書も讃美歌も全部日本語だと、妙なことに気付き感心する。
それから善男善女ら、墨と筆で木簡に住所氏名願い事を書かねばならない。
ばかばかしいので「世界平和」と一番アリそうもない事を書いておいた。
それにしても筆で字を書くなど何十年ぶりの事だろう。
横を見ると妻が「宝くじ当選」と大きく出ていた。
娘は「無事帰宅」と書いたらしい。
この望みだけは叶った。



京都2015-12



修学旅行でここに来たのは多分間違いない。
ただ、今となっては見たもの全て忘れている。
私は学生時代の何年かをこの町で過ごした。
その当時、ジャズ喫茶には行ったが寺社の類に一切近付かなかった。
まったく興味がなかったからだ。
それは現在もあまり変わらない。
知人が東京方面から遊びに来、どこぞへ案内しろとうるさい事を言えば、近所の寺へ連れて行きここはとても有名なんだといい加減な事ばかり言っていた。
しかしあとから知ったが本当に名刹だったんだよ。
結局京都中どこもそんな所ばかりなんだろうな。









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