吟子鍋はいいや

20173211.jpg
No.601 2017.3.20





来年は明治150年にあたるそうで、早くも文藝春秋が特集を組んでいる。
「私を捨て公のために生きた50人-明治百五十年-美しき日本人」
「坂の上の雲」で有名な秋山好古、武者小路実篤、「ビルマの竪琴」竹山道雄、作曲家の滝廉太郎、台湾で民家を避けて墜落死したゼロ戦パイロットで台湾の英雄杉浦茂峰兵曹長らの中に、日本初の女医荻野吟子に関する頁がある。
同様の企画でやり尽くし、段々(小粒と言ったらお叱りを受けるので)マニアックな方向へ来ている。
いまさらマイルス・エバンス・コルトレーンでもなかろうと、ブルー・ミッチェルやジュニア・マンスやベニー・ウォレスなんかに行っちゃう感じか。
荻野吟子さんは嘉永四年(1851年)、現在の埼玉県熊谷の名主荻野綾三郎の五女として生まれている。
十代半ばで結婚するが、18の時に夫から淋病をうつされ離婚、東京で二年間の入院生活をおくる。
その際男性医師に患部を見られたことへの抵抗感から、多くの女性患者のために医者になろうと決意する。
しかし当時はまだ医師免許は男性限定であり、受験資格すらなかった。
吟子は平安時代の日本に女医が存在した史実を示し、数度にわたって請願を行い1884年遂に受験が認められた。
「落第することがあれば、上は請願で驚かせた官に、下は後進姉妹に顔向けできない」として、受験者132人(うち女子四名)に対し合格24人という難関を見事突破する。
晴れて女医となった吟子は湯島で産婦人科医院を開業、翌年洗礼を受けキリスト教徒になる。
そんな縁から吟子の家に寄宿していた新島襄の門下志方之善と再婚、その時吟子40歳志方は13歳年下の27だった。
ひとつ屋根の下、熟女な女医さんと下宿人に如何ばかりのアレやコレやがあったものであろうか。
ところで熊谷には地元の誇り荻野吟子ゆかりのソウルフードがある。
「吟子鍋」がそれで、鮭・ジャガイモ・人参・ほうれん草・ゴボウ・ネギを入れた味噌味の鍋である。
石狩鍋に限りなく近いモノだ。
当地には同じような材料で作る「吟子汁」という豚汁の鮭バージョンもあり、学校給食にも供されている。
札幌の学校給食に「石狩汁」が出された記憶はない。
偉人の御威光侮り難く、石狩鍋に郷土の偉人が絡んでいなくて助かった。
それでは何故、埼玉県の郷土料理に鮭やジャガイモかというと、夫之善が布教のため北海道へ渡ったのである。
吟子も東京の暮らしを捨て、道南の瀬棚、のちに札幌にて開業している。
そんな流れから案外安易な発想で、石狩鍋in埼玉が小中学生に食べられるようになったようだ。
多分人気ないんじゃないかな。














コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

BARONDEBOP

Author:BARONDEBOP
そうだ どこかへ行こう

Count Basie 2号
最新コメント
最新記事
検索フォーム
リンク
月別アーカイブ